王子権現(王子神社)

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    王子権現(王子神社)
    [王子神社(おうじじんじゃ)は、東京都北区王子本町にある神社である。旧称王子権現。この一帯の「王子」という地名の由来である。
    八月の例大祭には北区無形民俗文化財に指定されている王子神社の田楽舞が奉納されている。
    歴史
    ●創建年月日不詳
    康平(1058年 – 1065年)年間に、源義家が奥州征伐(前九年の役)のおり、当地で金輪仏頂を修法、凱旋の日に甲冑を奉納した。
    文保(1317年 – 1319年)および元弘(1331年 – 1334年)年間に、当地の領主豊島氏が社殿を再興し、熊野新宮の浜王子より「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎、王子神社となる。
    明治初期 准勅祭社に指定。
    昭和20年(1945年) 戦災で社殿を焼失。
    ●昭和39年(1964年)、昭和57年(1982年)の二回の造営を経て社殿を再建。
    関神社
    ●主祭神 蝉丸公(神霊) 逆髪姫(神霊) 古屋美女(神霊)
    ●由緒 – 「蝉丸公」は延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君「逆髪姫」のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから「音曲諸芸道の神」、「髪の祖神」と崇敬を集めていて、「関蝉丸神社」として、滋賀県大津の逢坂山に祀られている、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代に奉斎された。
    ●1945年4月13日 戦災により社殿焼失
    ●1959年5月24日 全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の浄財により再建。
    拝殿・wikipedia-photo

    拝殿・wikipedia-photo、「関神社」と「毛塚」・wikipedia-photo  (wikipedia・王子神社_(東京都北区)より)]

    王子神社ホームページ」 – 「例大祭「槍祭」 – 王子神社 –

    王子神社例大祭 槍祭 王子田楽奉納 | 日本のおまつり探訪

    王子権現資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図左上に王子権現御宮が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [41]貮拾壹貞(安政三年・1856年)」(コマ番号10/10・絵図中央上に王子権現社、別当金輪寺が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡王子村絵図面(出版年月日[江戸末期])」(絵図中央右下に王子権現が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 御放鷹御成御膳所圖(文化11 [1814] [写])」(コマ番号51/99・別当金輪寺御膳所絵図で、絵図左に王子権現が描かれています。別当金輪寺御膳所として使用された座敷を飛鳥山公園北区飛鳥山博物館で再現常設展示されています。)

    江戸名所圖會. 卷之1-7 / 齋藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 畫圖」・「王子権現社・解説-1は右ページ」(15-25)、「其二」(15-26)、「花慎の祭祀」(15-27)、「祭礼」(15-28)、「王子権現社解説-2」(15-29)、「王子権現社解説-3・左ページ3行目まで」(15-30)
    王子権現社(拡大図)

    王子権現社其二(拡大図)

    花慎の祭祀(拡大図)

    王子権現社祭礼(拡大図)

    東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「王子権現社祭礼」(4-6)、「王子権現祭礼其二」(4-7)、「彼岸六阿弥陀詣其二」(2-7)
    王子権現祭礼其二(拡大図)

    木曽路名所図会. 巻之1-6 / 穐里籬島 編 ; 西邨中和 [画]」- 「王子社・巻之5 – 60

    王子神社鳥居 – Google Map 画像リンク」、「王子神社 – Google Map 画像リンク

    カメラ東北東方向が王子神社です。

    王子神社例大祭

    王子神社境内のストリートビューです。

    王子神社本殿前のストリートビューです。

    王子神社例大祭 槍祭 王子田楽奉納の360citiesです。

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