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王子稲荷
[王子稲荷神社(おうじいなりじんじゃ)は、東京都北区岸町にある神社である。東国三十三国稲荷総司との伝承を持ち、落語『王子の狐』で有名。
ふるくは岸稲荷と号した。 新編武蔵風土記稿巻之十八 豊島郡(参照:豊島郡 (武蔵国))之十 によれば、荒川流域がひろかったころ、その岸に鎮座した神であったから、名付けられた。また、治承四年に源頼朝より奉納を得たという。
徳川家康が王子稲荷、王子権現、両社の別当寺であった金輪寺に宥養上人を招いて以降、江戸北域にあって存在を大きくした。 『江戸砂子』王子稲荷の段に以下のとおり記されている。
『狐火おびただし、この火にしたがひて、田畑のよしあしを所の民うらなふことありといふ。狐火にわうじ田畑のよしあしを知らんとここに金輪寺かな。年毎に刻限おなじからず、一時ほどのうちなり。宵にあり、あかつきにありなどして、これを見んために遠方より来るもの空しく帰ること多し、一夜とどまれば必ず見るといへり
「(訳) 狐火の現れる時刻は年によって違うが、1~2時間ほどのことだという。晩に現れることもあれば明け方に現れることもあり、遠方からわざわざ見に来た人も見ずに終わることが多いが、一晩中待機していれば必ず見られるとのこと。」』
毎年大晦日の夜、諸国のキツネ、社地の東、古榎のあたりにあつまり、装束をあらためるといい、江戸時代、狐火で有名であった。王子稲荷は江戸市民から神社人気一番を得続けた。
江戸時代には王子稲荷は江戸の名所として絵画に描かれ、歌川広重は『名所江戸百景』において王子稲荷を描いている。
同じく三代歌川豊国(国貞)には、弘化4年(1848年)から嘉永5年(1852年)の間に出版された三枚続きの浮世絵「王子稲荷初午祭ノ図」がある。これは中央図に「正一位王子稲荷大明神」の幟(のぼり)が描かれているものの、建物の描き方から実際には王子稲荷を描いたものではなく、甲斐国甲府の名所である甲斐善光寺(山梨県甲府市善光寺)を描いた「甲州善光寺境内之図初午」の表題が変えられたものであることが指摘される。
毎月午の日が縁日で、2月初午の日、二の午、三の午には賑わう。 社務所にて火防(ひぶせ)の凧、守札がだされ、境内にも凧を売る店が立つ。 毎年大晦日、除夜とともに「大晦日狐の行列」が王子稲荷へ向かって賑わいを見せる。
神門・wikipedia-photo
拝殿・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、王子稲荷神社の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・王子稲荷神社より)]
「王子稲荷神社 | 東京都北区観光協会 – 北区観光ホームページ」、「王子神社のイチョウ | 東京都北区」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図左上に王子稲荷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [41]貮拾壹貞(安政三年・1856年)」(コマ番号10/10・地図中央付近に稲荷境内、王子稲荷社地と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡王子村絵図面(出版年月日[江戸末期])」(絵図中央左上に稲荷が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「王子稲荷社」(15-31)、「王子稲荷社解説」(15-30)
王子稲荷社(拡大図)
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「王子稲荷社初午詣」(2-3)
王子稲荷社初午詣(拡大図)
絵本江戸土産 – 王子稲荷社(拡大図)
名所江戸百景[歌川(安藤)広重](王子稲荷乃社・wikipedia-photo)
「東都名所」(江都名所 王子稲荷の祠、王子稲荷境内全図、王子稲荷境内全図-2、王子稲荷境内全図-3
カメラ西方向が王子稲荷神門です。
カメラ北西方向が王子稲荷南参道です。
王子稲荷拝殿前の360citiesです。
王子稲荷「凧市」の王子稲荷神門前の360citiesです。
王子稲荷「凧市」の拝殿前のカメラです。