寿徳寺(谷津子育観音)

マーカーは寿徳寺です。

寿徳寺
[寿徳寺(じゅとくじ)は、東京都北区滝野川4丁目にある真言宗豊山派の寺院。
寺伝によると、鎌倉時代、当地を訪れた武士によって本尊観世音菩薩を安置した事に始まると言われている。本尊は谷津子育観音として、昔より親しまれた。
その後、幕末になり新選組近藤勇他隊士達の菩提寺となり、近藤処刑後、境外墓地として現在板橋駅そばにある近藤の墓地の管理・及び命日における供養をしている。
また、2008年には境外仏として谷津大観音が建立した。
近藤勇の墓
近藤勇の墓は、寿徳寺の境外墓地である。JR板橋駅前にある。
新選組隊長・近藤勇は、1868年4月25日に板橋刑場で斬首の刑を受けた。首は京都三条河原にさらされ、胴は現在の北区の滝野川に埋葬されたと言われている。
当墓地は生き残った新選組の隊士・永倉新八が発起人となり、1876年に建てたもの。敷地には近藤の墓の他、土方歳三や新選組隊士の供養塔もある。また1929年には永倉の墓も同じ敷地に建てられた。
以降、毎年命日の4月25日前後になると近藤の供養の為に、当寺院が墓前で法要を行う。当墓地は2003年に東京都北区指定文化財に指定された。
寿徳寺・wikipedia-photo  (wikipedia・寿徳寺_(東京都北区)より)]

谷津子育観音
[南照山観音院寿徳寺の本尊である谷津子育観音(やつこそだてかんのん)は、木造の観音菩薩坐像です。この観音像は谷津観音と通称され、江戸時代の地誌には子安(こやす)観音とも、また、聖観音(しょうかんのん)とも記されています。
 寺伝では、鎌倉時代の初期、早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ちのびる途中で水中から拾いあげ、これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのだと伝えられています。像の姿は蓮華座に坐り、両手で乳児を膝の上に抱えている姿で、指を阿弥陀如来(あみだにょらい)と同じ弥陀の定印に結んでおり、現在は秘仏となっています。
 寿徳寺は江戸時代から城北地域の江戸西国三十三番観音札所の第十二番目の巡礼地にあたり、近江国(滋賀県)岩間寺(いわまでら)の霊験と同じ功徳(くどく)をもつものとして多くの人々が訪れています。
 境内に切株から芽吹いている銀杏(いちょう)があり、昔、飛鳥山付近からも 眺められたほどの巨木でした。この樹の皮をはいで本尊に供え、祈願した後に煎じて飲むと母乳が良く出るようになるという信仰もあ ります。
 こうした信仰は昭和の初期にも盛んだったようで、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の 俳句に「秋立つや子安詣(もうで)の花の束」という句があり、また、寺野守水老も「我妹子(もこ)と子安に詣る小春かな」(小林鶯里編『東京を歌へる』昭和5年)という句を詠んでいます。  (「文化財説明板谷津子育観音 | 東京都北区」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [41]貮拾壹貞(安政三年・1856年)」(コマ番号6/10・地図四切右上に木上下方向に寿徳寺が描かれています。寿徳寺右の道が十条村への道と思われ、現在の陸上自衛隊 十条駐屯地の真ん中を縦断しているようです。十条駐屯地には十条久保遺跡があり鎌倉街道中ツ道遺構が発見されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡滝野川村絵図面」(絵図下中央右に寿徳寺が描かれています。)

寿徳寺 – Google Map 画像リンク」、「谷津大観音 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が寿徳寺山門です。

カメラ北西方向が境外仏・谷津大観音です。

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