赤羽八幡神社

マーカーは赤羽八幡神社です。

赤羽八幡神社
[延暦三年(1200年前)、朝廷より奥州鎮圧を命ぜられた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が、此の地に陣を張って上の三神を勧請して武運長久を祈願したことにより創建されたと伝承されています。その後、源頼光源頼政太田道灌一族らの再興修造があり、1552年太田新六郎康資の「八幡禰宜 朝日輿五右衛門殿」宛の寄進状が伝えられています。江戸時代には、赤羽根村 下村 袋村 稲付村 岩淵郷の総鎮守とされました。
時代時代の国策に翻弄され続けた神社
明治16年に上野熊谷間の鉄道敷設によって宝幢院とつながっていた敷地を分断された。
明治20年、陸軍工兵大隊の大手町からの移駐先に社殿の後背地を管轄していた東京府から差し出されて供出。
明治41年稲付に出来た兵器補給廠と東北本線との武器輸送のために現参道に軍用鉄道敷設。
大正には東北上越方面との物資輸送増大で旧参道部分に赤羽貨物駅設置。
戦後になって昭和60年東北新幹線埼京線敷設のため、こんどはお山の腹にトンネル貫通。
かつて徳川家の庇護や加増もあって、明治の初年ころには四千坪を有する雄社であったが、このように時代ごとの国策の影響をかむって身を削られ続けてきた神社である。これも太古、地の利をもって坂上田村麿が東北地方鎮圧のための拠点と定めた時からの宿命なのか。現在も、時代遅れでとうに建設不要とみられる都道85号線道路計画にまた参道と階段が計画線上に掛り、神社は苦慮している最中である。  (「赤羽八幡神社ホームページ – 由緒記」より)]

文化財説明板八幡神社 | 東京都北区

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「赤羽山八幡宮」(15-41)、「赤羽山八幡宮解説・左ページ3行目から」(15-38)
赤羽山八幡宮(拡大図)

赤羽八幡神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が赤羽八幡神社参道です。

カメラ位置は参道階段の最上段です。

カメラ北方向が赤羽八幡神社拝殿です。

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