三河吉田藩松平(大河内)家池之端下屋敷跡

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP422・コマ番号255/553から豊橋藩(吉田藩)屋敷の変遷について記載されています。P426・コマ番号257/553「下屋敷 谷中 下谷区谷中清水町」がこの地になります。

松平伊豆守
[松平伊豆守(まつだいらいずのかみ)は、江戸時代大河内松平家の人物が伊豆守に就任したときの呼び名である。老中職などを務める人が居たため、時代劇などに良く登場する呼び名でもある。この時のモデルは主に俗に知恵伊豆と称される松平信綱がなっている場合が多い。
豊橋市の豊橋祭りの行列の松平伊豆守は、上述の知恵伊豆ではなく、知恵伊豆の子孫の小知恵伊豆と称された松平信明である。
松平伊豆守を名乗った人物
信綱と信輝の間に松平甲斐守輝綱が入ると、すべて同一の系統(松平伊豆守信綱の末裔、養子相続を含む)である。
松平伊豆守信綱(1596年 – 1662年) – 武蔵国忍藩、武蔵国川越藩
松平伊豆守信輝(1660年 – 1725年) – 武蔵国川越藩、下総国古河藩
松平伊豆守信祝(1683年 – 1744年) – 下総国古河藩、三河国吉田藩遠江国浜松藩
松平伊豆守信復(1719年 – 1768年) – 遠江国浜松藩、三河国吉田藩
松平伊豆守信礼(1737年 – 1770年) – 三河国吉田藩
松平伊豆守信明(1763年 – 1817年) – 三河国吉田藩
松平伊豆守信順(1793年 – 1844年) – 三河国吉田藩
松平伊豆守信宝(1826年 – 1844年) – 三河国吉田藩
松平伊豆守信璋(1827年 – 1849年) – 三河国吉田藩
松平伊豆守信古(1829年 – 1878年) – 三河国吉田藩
松平伊豆守家の菩提寺は、平林寺(旧武蔵国、現在の埼玉県新座市)であった。  (wikipedia・松平伊豆守より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図下、不忍池右方向に松平伊豆守(松平信古)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [33]貮拾壹元(安政三年・1856年)」(コマ番号3/7・絵図四つ切右下に松平伊豆守(松平信古)下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は動物園通り/清水坂交差点で、カメラ北北西方向道路を含む両サイドが三河吉田藩松平(大河内)家下屋敷跡になると思います。