修性院

マーカーは修性院です。

修性院
[日蓮宗の修性院は、運啓山と号します。天正元年(1573)豊島郡田中村(現練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)当地に移転したと伝えられます。江戸時代より花見寺として親しまれており、谷中七福神布袋尊が祀られています。
『日ぐらしの布袋尊
修性院の布袋は、谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。谷中七福神めぐりは、江戸市中で最も古い歴史をもち、年初めにあたって江戸市民が行う年中行事の一つであった。江戸時代の中期ごろから、このあたり一帯は俗に「ひぐらしの里」とよばれ、江戸近郊の行楽地として賑わった。ことに修性院・妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)・青雲寺は、境内に多数の花樹を植えて、「花見寺」の名にふさわしい庭園をつくり、四季折々の草花を楽しむことができたという。境内には、江戸時代の儒者・日尾荊山衣サク碑がある。(荒川区教育委員会)』  (「猫のあしあと」より)]

[日蓮宗の寺院です。この辺りは、江戸時代の中頃から「ひぐらしの里」と呼ばれ、江戸近郊の行楽地としてにぎわっていました。修性院は、妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺とともに花見寺とも呼ばれています。浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」日暮里寺院の林泉は、ここの境内の春景色が描かれています。また、谷中七福神の一つである「ひぐらしの布袋」が祀られています。寺の塀には、四季をモチーフにした布袋尊のイラストが描かれており、道行く人々に親しまれています。
画像リンク(修性院入口木造布袋尊像日尾荊山衣さく碑)  (「荒川区ホームページ – 修性院 (しゅしょういん)」より)]

[地名の由来については、太田道灌の出城があったためとも、谷中の感応寺(現天王寺)の開基、関道観の居所であったためとも言う。山手台地の最高地点にあり眺望が良い。江戸時代には虫聴きの名所として知られ、秋になると文人たちが訪れ、月を見ながら松虫や鈴虫の音に聴き入った。付近の浄光寺、本行寺、青雲寺は、文人趣味でそれぞれ雪見寺、月見寺、花見寺と呼ばれた。  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「道灌山 (どうかんやま)」より)]

修性院資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [33]貮拾壹元」(コマ番号6/7・地図中心付近に修性院年貢地と描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「日暮里惣図其之四」(14-49)
日暮里惣図其之四(拡大図)

[其之四の絵右下に「修性院」、中央に「青雲寺」、左上に「道灌山」が描かれています。]

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](日暮里寺院の林泉・wikipedia-photo)

運啓山修性院 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が修性院山門です。

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