和菓子 喜久月

マーカーは喜久月です。

喜久月
[谷中善光寺坂上の喜久月は、見過ごすほどのめだたない構えだが、東京の菓子好きなら誰でも知っている老舗。大正六年、今の場所に創業。言問通りの幅がずっと狭かった頃のこと。現在(1985年)の二代目青山信雄さんは坂町町会長でもある。
「私は大正十一年生れで、十三歳からこの道に入りました。兄弟には歯医者や建築かもいますが、菓子職人だけは大学で手からじゃダメなんです。頭ではなく肌 で覚える人ですからね。十代なら五年で一人前になるところ、二十代なら倍の十年かかってしまう。私たちの世代で、体で覚えた職人もいなくなるでしょうな。
 最初の給料が六十円でした。これはたいしたもので、大学での銀行員の初任給が二十三円でしたからね。腕さえよければ職人は金が取れるってことですよ」
 昔、TBSで放映された木下恵介アワー明日からの恋」のドラマは青山さんがモデル。頑固オヤジの話である。
 上生菓子には「卯の花」「きみしぐれ」「岩つつじ」「撫子」「小倉山」など爽やかな名前。口に入れるのは勿体ない美しさ。昭和二十九年にご主人が考案した「おを梅」は、みそあんを求肥で包み、菓子通の絶賛する味。  (「1985年6月15日(土曜日)発行・谷根千4号 昔気質の和菓子屋さん 全文掲載 – 谷根千ねっと」より)]

[上野桜木町で川端康成夫人秀子さんは和菓子の「喜久月」へ通います。「この頃は外出も多く来客も多く雑然としていました。お客が多くてお菓子をたくさん買って、「喜久月」というお菓子屋さんで、おたく様、何の御商売ですかと言われるぐらいでした。川端は甘いものをお客の時によく食べて、おしまいには、谷中坂町の頃ですが、今で言う急性糖尿みたいになって、こんなにお客さんが多くては体がもちませんよと医者に言われました。」、川端康成が甘いものを好むのは何となくわかりますね。「喜久月」は川端康成がいたころと同じ場所に昔のままに営業されています。
昔からのお店ですので川端康成が食べた和菓子と同じ物が食べられます。現在はお店の隣に喫茶部も設けられていますので、お店でも和菓子を食べられます。
【喜久月:東京都台東区谷中6-1-3 03-3821-4192 9:00~18:00 火休】  (「川端康成「上野桜木町時代」を歩く – 東京紅団」より)]

『【谷根千豆知識】川端康成が愛した老舗』by 谷根千黒猫 : 喜久月 – 上野

御菓子司 喜久月 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が喜久月です。