山形藩秋元家池之端下・抱屋敷跡

マーカーは山形藩秋元家下・抱屋敷跡です。

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秋元礼朝
[秋元 礼朝(あきもと ひろとも)は、嘉永元年(1848年)5月16日、遠江掛川藩の第5代藩主・太田資始の五男として生まれる。安政6年(1859年)に館林藩主・秋元志朝の養子となり、元治元年(1864年)10月に養父が禁門の変により幕府から隠居させられたため、家督を継ぐ。慶応2年(1866年)に奏者番に任じられた。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、飛び地領の河内から新政府軍に対して兵を派遣し、軍資金2万両を出して協力した。その功により明治2年(1869年)に賞典禄1万石を加増された。
明治2年(1869年)、版籍奉還により館林知藩事に任命されたが、明治4年(1871年)7月に廃藩置県で免官。  (wikipedia・秋元礼朝より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図下中央、不忍池右に秋元但馬守守(秋元志朝)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [33]貮拾壹元(安政三年・1856年)」(コマ番号3/7・絵図四つ切右下・不忍池右下に秋元但馬守(秋元志朝)下屋敷と抱屋敷が描かれています。)

カメラ位置は池之端三丁目2番地先で、カメラ北方向の小路は藍染川跡で、藍染川の西側が山形藩秋元家池之端下屋敷跡、東側が抱屋敷跡になります。