藤の木茶屋(羽二重団子)

マーカーは藤の木茶屋(羽二重団子)です。

藤の木茶屋(羽二重団子)
[羽二重団子(はぶたえだんご)は東京都荒川区にある株式会社羽二重団子が製造販売している団子。きめがこまかく羽二重のようだと絶賛されたのが由来で、そのまま名前となった。生醤油を塗った焼き団子と、さらし餡を巻きつけた餡団子の二種類が売られている。串団子であるが、粒の形が一般的な球形ではなく厚みのある円盤状なのが特徴的。
文政2年(1819年)、初代 庄五郎が「藤の木茶屋」を武蔵野国谷中本村字居村(現在地) に開く。当初の品名は「大だんご」であった。 のちに団子が、きめ細かく羽二重のようだと賞され、慶応4年の二代目庄五郎の頃には菓子名「羽二重だんご」、屋号も「羽二重団子」となっている。  (wikipedia-羽二重団子より)]

[羽二重団子の由来
江戸の昔より、日暮しの里・呉竹の根岸の里といえば、音無川の清流にそうた塵外の小天地として知られました。花に鶯、流れに河鹿、眼には遥かな荒川の風光にも恵まれて、人々は競ってこの智に別荘を設けました。くだって明治大正の頃まで、粋で風雅な住宅地として憧れの土地柄でありました。
文政二年、小店の初代庄五郎が、ここ音無川のほとり芋坂の現在地に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を供しました。この団子が、きめ細かく羽二重のようだと賞され、それがそのまま菓名となって、いつしか商号も「羽二重団子」となりました。こうして創業以来六代百八十年、今も江戸の風味と面影をうけ継いでいるのでございます。  (「羽二重団子・羽二重団子の由来」より)]

[羽二重団子は創業文政2年(1819年)のだんご屋さんで、夏目漱石正岡子規司馬遼太郎といった文豪たちの作品の中にたびたび登場します。初代の庄五郎が芋坂の「藤の木茶屋」で、王子街道を従来した人々に団子を売ったのが始まりだそうで、この団子が「きめ細かく羽二重のようだ」と評判を呼んでこの名前がついたそうです。この羽二重団子の横に丁度芋坂があり、慶応4年5月15日、上野の戦争で敗れた彰義隊数百人が日光へ逃げるため、この芋坂を駆け下りてきています。その際に数名が羽二重団子の店に侵入、刀、槍を縁の下に投げ込み、野良着に変装したそうです。  (「芋坂(羽二重団子)と夏目漱石」より)]

絵本江戸土産 – 谷中切通(拡大図)

[上の絵には「此所(ここ)思(おも)うに恐(おそ)らくは古(いにし)え上野(うえの)の山つづきにて、岳(おか)なりけんを何時(いつ)の世にか谷中への便路(べんろ)とて切(きり)ひらきたる物(もの)なるべし。さる故(ゆえ)に左右は高く往来(ゆきき)の路(みち)は凹(なかくぼ)なり。因(よっ)て松柏杉檜(しょうはくすぎひのき)弥(いや)が上に繁茂(はんも)して日光(にっこう)を覆(おお)い月を障(ささ)う故(ゆえ)に、盛夏(せいか)も暑(しょ)を覚(おぼ)えず。所々(しょしょ)にささやかなる茶店(さてん)を出して茶(ちゃ)を鬻(ひさ)ぎ団子等を售(う)る」とあります。  (「絵本江戸土産(広重)第8編18 谷中切通 (未) | くずし字見 ...」より)]

羽二重団子 本店 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が「羽二重団子」で、右角に王子街道の標柱があり、右小道先が芋坂になります。

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