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酒井抱一住居跡
[このあたりに、江戸時代後期の俳人画家酒井抱一(1761~1828)の晩年の住居雨華庵があった。抱一は姫路城主酒井忠以の弟。少壮より文武両芸に通じ、寛政9年(1797)京都で出家、文詮暉真の名を与えられ江戸の帰った。画は尾形光琳に私淑して一家をなし、また俳諧等にも秀で、谷文晁・亀田鵬斎等の文人と親交があった。抱一は文化6年(1809)以来、この雨華庵に閑居し、土地の名物鴬に因んで鴬村(おうそん)と号し、正月15日には画始、10月5日には報恩講を開き、また文政9年(1826)6月には、庵で光琳忌を催している。抱一の後を継いだ画家酒井鴬蒲もここに住して、雨華庵二世と呼ばれた。 平成6年(1994)3月 台東区教育委員会 (「東京都台東区の歴史 – 酒井抱一住居跡」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「呉竹根岸里」(17-11)
呉竹根岸里(拡大図)
カメラ西方向に酒井抱一住居跡案内板が設置されています。