佐竹稲荷神社(久保田藩佐竹家梅田屋敷)

マーカーは佐竹稲荷神社です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP705・コマ番号396/553から久保田藩屋敷の変遷について記載されています。P709・コマ番号398/553「抱地 安達郡埋田」がこの地になります。

佐竹稲荷神社
[江戸時代、この辺りは、秋田藩佐竹氏抱屋敷地で広さ約5,200余坪あり、周囲には構堀(かまえぼり)がめぐらしていた(梅田屋敷は蔵屋敷であり、他の屋敷が火災などの被害を受けたときの避難場所としても使われていた)。当社は、この北東隅に位置し、佐竹候の屋敷神として祀られていた。  (「神社人 – 佐竹稲荷神社」より)]

[江戸時代、この辺りは秋田藩主佐竹氏が所有した広さ約5200坪の抱屋敷地(かかえやしきち) であった。抱屋敷とは、幕府から拝領した屋敷ではなく、私邸のことである。延宝8年(1680)には存在し、享保3年(1718)に8代将軍徳川吉宗から取り壊しを命じられるまでは、構堀(かまえぼり)をめぐらす立派な屋敷だった。その威容は、佐竹氏から譲渡された資料を保存している一般財団法人千秋文庫千代田区)が所蔵する「梅田御屋敷絵図」に描かれている。また、登録有形文化財「千住花又瀬崎辺之図」にも、「佐竹大膳下屋敷」として描かれている。
当社は、この屋敷地の北東隅に位置し、屋敷神として祀られ、「佐竹稲荷」と呼ばれている。現在、屋敷の面影を伝える唯一の遺構である。神田(千代田区)にあった佐竹氏の上屋敷跡地にも佐竹稲荷神社が祀られている。
当初の社殿は、寛政9年(1797)に建立された。古くから近隣の人々の信仰を集め、寛政 10年の幟 (のぼり)なども保存されている。毎年、2月の初午(はつうま) の祭礼には、参詣者も多く、かつて当社を信仰し、他所へ移り住んだ信者からも献納物が寄せられている。
屋敷の東側を日光道中奥州道中が通っており、参勤交代などでここを通って上屋敷に入った。また、江戸で火災が起こると、秋田藩関係者の避難所としても利用された。
現在は、当屋敷を受け継いだ三谷家が、神社をお守りしている。  (「佐竹抱屋敷跡|足立区」より)]

[ID:14942] 千住花又瀬崎辺之図 : 資料情報 | 収蔵資料 …

佐竹稲荷神社 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が佐竹稲荷神社参道です。

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