マーカーは中村八幡神社です。
中村八幡神社
[中村八幡神社の創建年代等は不詳ながら、正保年間(一六四四-八)以前の創建と伝えられ当地中村の鎮守社となっていたといい、明治7年には村社に列格していました。
●練馬区教育委員会掲示による中村八幡神社の由緒
この八幡神社は旧中村の村社で、祭神は応神天皇です。「新編武蔵風土記稿」に「村ノ鎮守ナリ、南蔵院持」とあります。南蔵院はここから東方約400mにある真言宗の古刹で、江戸時代は当社の別当寺でした。
本殿は、社伝によると、江戸時代前半のものといわれ、練馬区内でも屈指の古建築物です。境内本殿向って左手にある文政13年(1830)奉納の御手洗石に卍の彫刻のあるのが目につきます。神仏混淆時代の名残りをとどめる石造遺物として注目されます。記念碑のまわりには、むかし若者たちが力競べに興じた力石があります。なかには目方が彫ってあるものもあります。
当社裏の一角に「首つぎ地蔵」があります。首と別々にあった地蔵尊が、信心深い二人のひとの夢枕に立った結果、首と体を継ぐことができたと言い伝えられています。その名にちなみ昭和初期の不況時代には「首切り」を免れようと、参詣者でにぎわったといいます。ここは廃寺となった南蔵院の末寺・西光寺の旧地にあたります。地蔵堂の前の石造物がわずかにその面影を残しています。(練馬区教育委員会掲示より) (「猫のあしあと – 中村八幡神社」より)]
八幡神社の水盤 (はちまんじんじゃのすいばん)
[八幡神社の水盤は石造で、総高68.0センチメートル、幅109.0センチメートル、奥行き45.5センチメートルです。正面に卍紋の陽刻と「奉納 氏子中」の陰刻があります。向かって左側面に文政13年(1830年)11月吉日の年記、向かって右側面に願主11名の氏名が陰刻されています。背面に文字が刻まれていたようですが、風化のためか判読できません。江戸期には八幡神社の西側に西光寺があり、水盤に卍紋が刻まれるのは八幡神社と西光寺の神仏習合の名残であるとも伝えられます。練馬区に残る古い部類の水盤です。(画像リンク)
平成19年度区登録 (「練馬区のホームページ – 八幡神社の水盤 (はちまんじんじゃのすいばん)」より)]
カメラ北北西方向が中村八幡神社参道です。
中村八幡神社拝殿前のカメラです。