井の頭池(井の頭公園)

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    井の頭池
    [井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん、Inokashira Park.)は、東京都武蔵野市三鷹市にまたがる都立公園である。1917年(大正6年)5月1日開園。三宝寺池石神井公園)・善福寺池と並び、武蔵野三大湧水池として知られる井の頭池を中心とした公園である。東京都西部公園緑地事務所が管理している。日本さくら名所100選に選定されている。
    地理
    井の頭恩賜公園(以下、「井の頭公園」という)は、武蔵野市の南東から三鷹市の北東にかけて広がる公園である。総面積は約380,000m²である。井の頭公園はその中心に井の頭池を擁している。井の頭池は北西-南東方向に延びる細長い形の池であり、北西端は二つに分かれ、南東端からは井の頭池を源とする神田川が流出している。神田川の流れの一部も井の頭公園に含まれている。また、井の頭池の西側には御殿山雑木林があり、吉祥寺通りを挟んで東京都建設局井の頭自然文化園が位置している。雑木林の南側には玉川上水が東南方向に流れ、そのさらに南には「西園」が位置している。この西園には、400mトラックと三鷹の森ジブリ美術館(https://goo.gl/maps/ReEJ9bkuSLD2Google Maps)がある。玉川上水の下流側の脇には小さな広場のある「東園」がある。
    井の頭公園の近隣は、井の頭池から北500m弱にはJR中央線吉祥寺駅が位置している。この吉祥寺駅には井の頭公園に向かう公園口(南口)が設けられており、吉祥寺駅から井の頭池にかけての道路に面して若者向けの商店が並んでいる。南東の神田川沿いには、並走する京王井の頭線の井の頭公園駅がある。井の頭公園駅から井の頭池までは至近であり、その間では小さな広場や小道を散策することができる。
    四季と自然
    井の頭公園にとっての春は、井の頭池を縁取る桜の季節である。池の中央を渡る七井橋から眺めると、岸からせり出す枝々の桜は、池に向かって水面を覆わんとするほどに折り重なって咲き、その花の淡い色が水面や空とコントラストをなす。桜の開花時期には特に多くの来園者が訪れる。池の西側の梅園では、桜の開花前にも多くの花がみられる。梅園の北側に向かった池沿いには湧水口があるものの、現在は水量が乏しい。夏の井の頭公園では、御殿山を覆う雑木林の緑の色と、その木立の中の清々しい空気とが楽しめる。秋になると井の頭公園は多種多様な木々の紅葉によって彩られ、散策道をも埋めるほどに落ち葉が折り重なる。井の頭公園の冬はにぎやかである。渡り鳥が多く飛来し、井の頭池にて越冬する。園内では、野生の蛇を見かけることもある。
    歴史
    井の頭池は豊かな湧水を誇っている。園内武蔵野市側の御殿山遺跡からは縄文時代竪穴式住居遺跡も出土することから、井の頭池は古くから人間の生活に不可欠な水源となってきたことが伺える。井の頭池西端の島に現存する井の頭弁財天別当寺天台宗大盛寺)は、その起源が、平安時代中期に六孫王経基伝教大師作の弁財天女像を安置するためこの地に建てたお堂であるとされる。弁財天の縁起には、その後源平合戦の頃、源頼朝が東国平定を祈願し、その大願成就ののちに改築されたことが伝えられている。その後、鎌倉時代末期の元弘の乱の際に、新田義貞北条泰家との対戦の兵火で弁財天が焼失した。数百年の間放置された後、江戸幕府三代将軍徳川家光により弁財天が再建された。井の頭という名称は一説には家光によって名づけられたものと伝えられ、自ら小刀で弁財天の傍らのこぶしの木にその名を刻んだとも伝えられる。現在、その場所にはその伝承を記した石碑が建てられている。井の頭という名称の由来についてはそれ以外にも、「えんかしら、この水の美しさ」と家光が驚嘆したことがその後に転じて「いのかしら」になった、とする説もある。
    なお御殿山の地名は、家光が鷹狩りに訪れた際の休息のため、井の頭池を見渡す場所に御殿を造営したことに由来する。この一帯の武蔵野は、三鷹という地名にも残るように、徳川歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場であった。
    井の頭弁財天の持ち寺の大盛寺の記録『神田御上水井之頭弁財天略縁起』には、「家康が自らの手で水を汲み、関東随一の名水だと褒めて、お茶をいれるのに使った。」と記されている。 江戸時代の特に江戸市民にとっては、弁財天は信仰の地であるとともに、行楽地でもあった。これは、江戸時代の初頭に神田川が改修されて江戸に神田上水が引かれたため、江戸市民にとって井の頭池が水がめとなったことと関連している。弁財天境内や向かいの石段、石段を登りきった周辺などに、その当時の商人や歌舞伎役者が寄進した石灯籠、宇賀神像などが残る。なお、かつては石造の鳥居も存在した。この鳥居は1767年(明和4年)に寄進されたものであるが、明治初年の神仏分離令の際に撤去され、鳥居の柱石は後に井の頭池と神田上水の間の水門に転用された。その水門は現在使用されていないものの、池の東端付近に今も残る。弁財天への参道は現在も史跡として整備されており、「黒門」と呼ばれる黒い鳥居もある。
    井の頭公園を管理している東京都ならびに東京都西部公園緑地事務所は、公園内での露店による販売行為を禁止している。公園の各所にその旨を伝える張り紙を付けた赤いコーンが置かれたが、その横で堂々と無許可で露店を構える者もいた。これらの取締りを強化すると共に、2007年(平成19年)よりストリートライブや大道芸などのパフォーマンスや販売行為などの公園内での活動を一定のルール下で認可する井の頭公園アートマーケッツという登録制度が導入されている。
    井の頭池(弁天堂近辺)・wikipedia-photo、春の井の頭公園(2006年4月撮影)・wikipedia-photo、「お茶の水」と呼ばれる湧水口・wikipedia-photo、歌川広重「名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」・wikipedia-photo、井の頭公園の桜・wikipedia-photowikipedia-photo、井の頭公園内に並ぶ露店・wikipedia-photo  (wikipdia・井の頭恩賜公園より)]

    小金井橋桜の道標」(下絵図玉川上水の右上に井ノカシラ弁天が描かれています。)

    井の頭公園の桜

    江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「井頭池弁財天社」(11-33)、「井頭弁財天社井頭池解説」(11-34)
    井頭池弁財天社(拡大図)

    絵本江戸土産 – 井の頭池(拡大図)

    絵本江戸土産 – 井の頭池 辨財天社(拡大図)

    歌川広重・「名所雪月花 井の頭池弁財天の社雪の系」(ボストン美術館)

    お茶の水池 – Google Map 画像リンク」、「井の頭池 – Google Map 画像リンク」、「ボート池 – Google Map 画像リンク」、「七井橋 – Google Map 画像リンク」、「狛江橋 – Google Map 画像リンク」、「白鳥デッキ – Google Map 画像リンク」、「ひょうたん池 – Google Map 画像リンク

    井の頭公園・井の頭池弁才天橋のストリートビュー、カメラ西方向に井の頭弁財天がみえます。

    ストリートビュー位置は井の頭公園・池の中央を渡る七井橋です。

    ストリートビュー南西方向が弁財天鳥居を転用した水門です。水門手前にひょうたん橋の碑(碑は南側の太鼓橋南端にもある。)があり、水門の左の池がひょうたん池です。

    ストリートビュー北北西方向の三角の石が「一級河川 神田川」の碑で、カメラ北西の橋が水門橋です。

    井の頭恩賜公園梅園前のカメラです。

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