八坂神社と中里富士

マーカーは八坂神社です。

八坂神社と中里富士
[当社は旧橋戸村の鎮守で、祭神は須佐之男命です。いつの頃か、京都八坂神社(祇園社)分霊を勧請して創建されました。祇園社の守護神は牛頭天王であり、この辺りの字を「中里」といったので、村人からは「中里の天王様」と親しまれてきました。
境内末社には稲荷神社・浅間神社・御嶽神社が奉祀されています。額堂には江戸時代からの絵馬が数多く奉納されています。またむかしから、境内の樹木の枝を折ると熱病にかかるという言い伝えがあります。
中里の富士塚は、南側の基部からの高さが約12m、径が約30mあり、区内最大規模の富士塚です。明治初期に講中によって築造されたといわれていますが、文政5年(1822)の石碑があることから江戸時代すでにその原形があったと思われます。合目石に沿って頂上まで登ると、36基の石造物があります。中でも道祖神の碑は区内で唯一のものです。毎年8月1日に山開きが行われます。
○中里の富士塚(平成2年度 練馬区指定文化財)
平成21年3月 練馬区教育委員会  (「中里富士・八坂神社 東京都練馬区大泉町 – 墳丘からの眺め」より)]

[江戸時代中ごろから昭和初めごろにかけて、江戸八百八講(はっぴゃくやこう)と言われるように、富士山神奈川の大山おおやまに登拝(とはい)しに行く富士講や大山講(おおやまこう)などの山岳信仰者の集まりが練馬区内にもたくさんありました。
 富士講は、霊峰富士に登り浅間神社に参拝することを目的に結成されたものです。年ごとに講の代表者として参拝するものを選び、必要な経費を講員全員で負担していました。富士講がさかんになり、富士山に似せた富士塚が各地に築かれました。富士塚に登拝とはいすると、実際に富士山に出かけたのと同じ御利益があるとされていました。
 中里(なかざと)の富士塚は、南側基部きぶよりの高さが12メートル、径が30メートルあり、区内でも大きな部類に入ります。石碑の年記ねんきや言い伝えなどから、明治初期に丸吉講によって築かれたと言われていますが、文政5年(1822年)の石碑があることから江戸時代すでにその原型があったと思われます。合目石ごうめいしに沿って頂上まで登ると、36基の石造物があります。中でも道祖神の碑は、区内で唯一のものです。
 現在でも地元富士講によって毎年行事が行われています。
 昭和61年度区登録・平成2年度区指定  (「中里の富士塚 (なかざとのふじづか):練馬区公式ホームページ」より)]

八坂神社|練馬区大泉町の神社 – 猫の足あと

八坂神社 – Google Map 画像リンク」、「中里の富士塚 – Google Map 画像リンク

八坂神社境内のカメラです。

八坂神社拝殿前のカメラです。

中里富士のストリートビューです。