妙福寺

マーカーは妙福寺です。

妙福寺
[日蓮宗寺院の妙福寺は、西中山と称し、もと慈東山大覚寺と称し、天台宗の寺院として、嘉祥3年(850)に草創しました。鎌倉時代に中山法華経寺歴代の日高日祐上人の巡錫に会い、元亨2年(1322)日祐上人により、法種山妙福寺として日蓮宗に改宗しました。改宗した日延から三代後は、代々法華経寺の貫頂が住職を勤めたので西中山と通称するようになりました。天正年中(1573-1591)以降歴代徳川将軍家から21石余の御朱印を賜り、大乗院、本応院、法性院、善行院、本立寺を塔頭に擁していました。  (「猫のあしあと – 妙福寺」より)]

妙福寺の梵鐘 (みょうふくじのぼんしょう)
[梵鐘は、本来、僧に集合を知らせる合図として鳴らしていました。のちに時刻を知らせたり、大晦日除夜の鐘として使用されるようになりました。妙福寺の梵鐘は、銅製で、総高が130センチメートル、口径が77センチメートルあります。「寛文4年(1664年)鋳工田中大和守藤原重正」の銘があり、江戸時代初期の梵鐘としては、その作柄が優れています。鐘の周囲には、「不受不施(ふじゅふせ)」に関すると思われる文字が刻まれています。画像リンク
 昭和62年度区登録・平成9年度区指定
※注釈:「不受不施」・・「法華を信じない者の施しを受けず、また施しもしない」という日蓮宗の教義をいいます。  (「練馬区ホームページ – 妙福寺の梵鐘 (みょうふくじのぼんしょう)」より)]

妙福寺文書〈非公開〉
[永禄11年(1568年)から大正3年(1914年)までの妙福寺伝来の古文書類で、総数は55点です。なかには、永禄11年、慶長3年(1598年)の住職補任状(画像リンク)をはじめ、3代徳川家光から14代徳川家茂(いえもち)までの徳川将軍家朱印状の写し9通が伝来しています。 また、日蓮宗不受不施派に関する文書(もんじょ)も多く、山制・由緒書写、過去帳などが残っており貴重です。
 平成元年度区登録・平成4年度区指定  (「練馬区ホームページ – 妙福寺文書 (みょうふくじもんじょ)」より)]

妙福寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が妙福寺総門です。

妙福寺本堂前のカメラです。