常久(つねひさ)一里塚跡

マーカーは常久(つねひさ)一里塚跡です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図の「府中町」の字「町」の右上付近が常久(つねひさ)一里塚跡あると思われる場所です。

常久(つねひさ)一里塚跡
[甲州古道は、江戸を起点とする五街道のひとつであり、江戸日本橋から内藤新宿を経て、府中宿を通り、さらに多摩川を渡り日野の万願寺、そして甲州へと続き、下諏訪中山道と合流していました。一里塚は、旅人の目印として一里(約4㎞)ごとに作られたもので、徳川家康慶長九年東海道などの街道沿いに築かせたことで、その後日本全国に普及していきました。この常久一里塚跡は、甲州古道の塚の一つで、江戸の日本橋からちょうど七里目にあたります。塚の上には、榎やけやきなどが植えられて、旅人が陽射しを避ける休憩所ともなったのでしょう。  (「甲州街道常久一里塚 | ぶらり国・府」より)]

[府中市指定文化財 市史跡 甲州街道常久一里塚跡
一里塚は旅人に里程を知らせるため、街道の両側に一里(約四キロ)ごとに築かれた塚で、わが国では江戸時代になり制度として確立した。すなわち、慶長九年(一六〇四)徳川家康は江戸日本橋を起点として東海・東山・北陸の三道に一里塚を築かせ、それを全国に普及させた。
塚上には塚を固めるための榎をはじめ松や欅などが植えられ、これが旅人にとっては日ざしをさける木かげの休所となった。
この常久(つねひさ)一里塚跡は、江戸初期に整備された甲州街道の日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡と伝えられているものである。府中市内では、このほか日新町一丁目の日本電気株式会社府中事業場内にある一里塚跡が「市史跡 甲州街道本宿一里塚跡」として府中市指定文化財となっている。
平成十五年三月  府中市教育委員会  (「品川道を歩く その1 府中から世田谷瀬田 – 散歩の途中」より)]

常久一里塚跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南南西方向が常久(つねひさ)一里塚跡石碑です。