本田家住宅薬医門・住宅主屋

マーカーは本田家住宅主屋です。

本田家住宅薬医門
[文化財分類種別 – 国登録有形文化財 建造物
所在地 – 国立市谷保5122
公開状況 – 表から見える範囲のみ公開
所有者・管理者 – 国立市
登録日 – 平成23年10月28日、平成12年4月1日市登録(建造物)、平成22年10月1日薬医門と併せ市登録(史跡)種別変更
概要
もとは主屋正面に建っていましたが、昭和7年、甲州街道拡幅に伴い、現在の敷地南東隅に移築されました。
桁行2.5メートル、梁間1.8メートルのいわゆる一間薬医門です。屋根は切妻造・銅板葺で、西側の袖塀に潜り戸を開きます。
建築年代を直接示す資料は見つかっていません。建築様式から、少なくとも幕末期をくだらない時期、江戸時代後期に建てられたと考えられます。
当薬医門は屋敷の門構えとして、武家屋敷門に匹敵する格式をもつものであり、江戸時代における名主階層の屋敷構成をみる上で重要な建造物です。  (「国登録文化財(6)/国立市ホームページ – 本田家住宅薬医門」より)]

本田家住宅主屋
[文化財分類種別 – 国登録有形文化財 建造物
所在地 – 国立市谷保5122
公開状況 – 非公開
所有者・管理者 – 国立市
登録日 – 平成23年10月28日、平成12年4月1日市登録(建造物)、平成22年10月1日薬医門と併せ市登録(史跡)種別変更
概要
本田家は過去帳・家伝によると、初代定経までは上毛白井(群馬県)にあり、2代定寛の時に川越へ移住し、4代定之の時、寛永年間(1624から1644)に現在地に移ったとされています。
江戸中期までの本田家は、馬の調教や獣医を家業とし、江戸幕府広島藩に勤仕するほどの家柄でした。その後、遅くとも9代までには漢方医に転じ、それ以降の当主は、代々名主や年寄として村政にたずさわりました。
建築当初の間取りは、ダイドコロの土間部分と、表にヒロマ・ナカノマ・デイ、裏にカッテ・オヘヤ・オクの床上部分から構成される、「喰違形六間型(くいちがいがたむつまがた)」と呼ばれる平面形式です。
建築年代を直接示す資料は見つかっていませんが、平面形式や構造などからみて江戸時代中期までさかのぼる可能性をもっています。喰違形は六間型形式をもつ民家建築の中では最初期に位置づけられ、当主屋は、名主階層の格式をもった江戸時代中期の住宅として、民家史上重要な建造物です。  (「国登録文化財(6)/国立市ホームページ – 本田家住宅主屋」より)]

(旧谷保村名主)本田家住宅主屋 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が本田家住宅薬医門です。