武蔵国分寺跡 参道口

マーカーは武蔵国分寺跡 参道口です。

武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡 – 国分寺市」案内マップ

武蔵国分寺跡 参道口
[武蔵国分寺参道口跡は、武蔵国分僧寺中門から南へ延びる道路跡(参道)と武蔵国分尼寺方面から南東へと斜行する道路跡とが接する場所にあたり、参道側の南端部から境界を示す門柱状の遺構が発見されました。この参道口の遺構は広範囲にわたる寺地の南端にあたる場所に位置し、寺の内と外を示す境界の役割を担っていたといえます。国分寺の寺地の境を示す明確な施設は全国でもほかに例がありません。国府と国分寺が直接結びつき、一つの都市として機能していたことを示す貴重な遺跡です。  (「武蔵国分寺参道口跡 – ぶらり国・府」より)]

[府中市栄町3丁目 17 番地に所在する。寺院運営上の諸施設を含む寺院地の外に,寺地と呼ぶ集落が展開する範囲があり,その南限を区切る施設として僧寺金堂跡から南に 478 m離れた位置で門跡が確認された。
 門跡は3基確認され,いずれも共通した意図で一定期間に建て替えられている様子が判明している。その特徴は,①柱の太さが 40 ~ 50cm ほどで,柱間と柱径の割合が 11 分の1とほぼ一定していること,②柱は全て垂直に近く,内側に転んでいないこと,③東西の柱の上部は繋ぎ材で緊結されていたと思われること,④柱の上部が繋がっていたため柱の深さを調整し,東西同じ高さ,水平に合わせたことが想定されること,などがある。これらの特徴から復元される上部構造は,鳥居よりはむしろ,柱の上部を水平な冠木で貫いた冠木門のような形式の門の可能性が高いと思われる。
 なお,門の直下には,武蔵国分寺僧寺推定中軸線上に延びる南北方向の道路跡 ( 参道 ) が走り,幅 2.2 ~ 3.0 m,検出延長は 28 mを測る。また,門跡の南側では,武蔵国分尼寺方向に延びる斜行道路 ( 幅 2.4 ~ 3.0 m,検出延長 35m) とも合流し,進行方向の異なる2本の道路が交錯している。この道路はさらに南東方向へと伸び,武蔵国衙中軸から北上する道路と交わることが推定されている。このことから,武蔵国府と武蔵国分寺をダイレクトに繋ぐ道路網が存在したことが考えられ,ひいては綿密な都市計画のもとで道路・町割りが整備されている様相が判明した。
 当該地区より出土した遺物は,門の柱穴から 10 世紀前半のもの,道路周辺からは 11 世紀代後半の遺物も確認されている。このことから,恐らく国分寺の七重塔が倒壊後,10 世紀前半から 11 世紀初頭頃になって,本堂の修復供養などが営まれた際に門や参道が造られたことが想定されている。  (「Ⅱ.史跡武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡の概要 – 国分寺市」より)]

武蔵国分寺跡 参道口・wikipedia-photo

武蔵国分寺跡 参道口 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向に武蔵国分寺跡 参道口が丸太のモニュメントで表示され、前後に案内の碑が設置されています。