清見寺・清見寺石地蔵

マーカーは清見寺です。

清見寺
[馬橋の灸寺で知られる瑞雲山清見寺は、曹洞宗の寺です。本尊千手観音像で、中野区成願寺の末寺です。
寺伝によれば開創は寛永初年(1624~1635)で、開山は成願寺六世鉄叟雄●「さく」(族の下に鳥)和尚と伝えます。当寺は開山後しばらくの間、檀家の数も多くはなく、しばしば無住の時もあったといわれ、その詳細はあきらかではありません。
当寺は元禄年間(1688~1703)火災にあい、現本堂は昭和11年に改築されたものです。
文化財としては、馬橋村・阿佐谷村の村民の奉納した地蔵石像があり、ほかに江戸期に造られた風鐸(青銅鐘形の風鈴)が保存されています。
寺前の青梅街道は、江戸初期に開かれた杉並地域の幹線道路で、近世のみならず現代でも生活上・産業上、重要な役割を担っています。
なお、当寺には明治8年から同17年まで、現在の杉並区立第一小学校の前身である桃園小学校第一番分校(同9年桃野学校として独立)が置かれており、杉並近代教育発祥の地の一つです。
昭和56年2月15日  (「28 清見寺 【寺院】(梅里2丁目11番17号)|杉並区公式ホームページ」より)]

桃野学校の誕生
[明治八(1875)年に、中野村宝仙寺を仮校舎として第六小学区第九番公立桃園学校(現中野区立桃園第一小学校の前身)が開校した。しかし、杉並区域からは遠すぎるので、桃園学校一番分校が馬橋村の清見寺(通学範囲は馬橋・高円寺・阿佐ヶ谷・天沼・田端・成宗村)、二番分校が上井草村の薬王院薬師堂(上井草・下井草・上荻窪・下荻窪村)に設置された。このとき杉並区域では、ほかに郊西学校(五日市街道沿いの地区 ※大宮前新田、慈宏寺内)と高泉学校(甲州街道沿いの地区 ※上高井戸村、医王寺内)が開校している。そして翌九(1876)年に、桃園学校一番分校は第三中学区第二十五番公立桃野小学校、二番分校は第二十六番公立桃井学校として、それぞれ独立した。現在の杉並第一小学校桃井第一小学校の前身である。  (「天沼8町会 – 明治時代」より)]

杉並区立高井戸小学校
[1875年10月8日 – 高泉学校(上高井戸村、医王寺内)・郊西学校(大宮前新田、慈宏寺内)として認可。
1891年6月19日 – 高泉学校と郊西学校が合併し、東京府東多摩郡高井戸尋常小学校として新たに発足。  (wikipedia・杉並区立高井戸小学校より)]

清見寺石地蔵
[馬橋村、阿佐ヶ谷村の村民が奉納。「馬橋の灸寺」として知られた寺。   (「青梅街道③: 坂道散歩」より)]

[街道に戻り十数分、真っ赤な涎掛けを付けたお地蔵さんが。
いつ頃造られたかは不明だが、馬橋村・阿佐ヶ谷村の村民が奉納したのだという。「清見寺のお地蔵さん」(左)として親しまれているそうだ。
 お地蔵さん脇の路地を入った奥が清見寺。
 本堂前の広場のはずれに珍しい「馬頭観音」(右)を発見。 仏像ではよく見かけるが、馬頭観音の「三面六臂」は初めてだ。 つい見とれて
いつ頃建立されたのか見忘れたのが残念。  (「青梅街道道中記 – 中野宿」より)]

清見寺 地蔵堂 – Google Map 画像リンク」、「清見寺 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向に清見寺石地蔵があり、その右が清見寺参道です。