玉川上水(鎌倉橋)

マーカーは玉川上水(鎌倉橋)です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図を見ると小平村の「小」と「平」の間の小道が、現在鎌倉街道と称されている道で、玉川上水の合流点に鎌倉橋が現在架設されています。

玉川上水(鎌倉橋)
[西武国分寺線鷹の台駅から東へおよそ1.5キロ、或いは西武多摩湖線一橋学園駅から西へほぼ同じ距離の地点にある玉川上水に架かる橋です。この上水は現在水道路としては役割を終わっているようですが、緑のいい散策路が並行しています。現在地名で津田町2-28のあたりです。
 この鎌倉橋から南へ行く道は地元で古くから鎌倉街道と呼んで来た道です。その道は五日市街道と旭が丘で交差しその先途絶えています。この交差点と上水の間にかって「二つ塚」といわれた一対の塚があったといわれています。鎌倉街道の一里塚の跡だともいわれていました。鎌倉時代に一里塚があったとは信じがたいのですが、道の両側にあったとすれば一里塚であった可能性があります。現在その跡は全くありません。小平市の関係者の話では地元の伝承は承知しており、昭和中期{戦後間もなく}までその塚があったことは確認されているがその場所が何処であるのかは全く分からないということです。五日市街道を前記の旭が丘から西へ300メートルほど行きますと、府中街道と交差しますが、そこにバス停があって二つ塚という名になっています。塚は跡形もなくなくなっているのに、バス停にその名が残っている。或いは地名、小字よりももっと狭い範囲の地区の名として残っているのかもしれません。
 鎌倉橋のある上水から北部は津田町2丁目ですが、整然と区画された住宅地で古い道が残っている様子はありません。前に引用した武蔵風土記には「村内に古い街道がある。道幅2間{約4メートル}ばかり。府中より国分寺、恋ヶ窪などの村々を経てここに至る。この先久米川等に至る。これは鎌倉より陸奥東北地方}への街道であったという。」{意訳}と書いてありますが、このあたりではその跡を確認するすべはありません。しかし、ここから800メートルほど北へ行くと、小川町2丁目になります。ここには鎌倉街道と呼ばれてきた細い道が北へ延びています。数年前までは畠の中のいい散策路のような細道でしたが、今は車の往来の多い道になっています。しばらく行くと青梅街道の旧道に当たりますが、ここには地元で立てた鎌倉街道の標識と説明板が立っています。ここを越えた先もこの道は北へ1キロほど続いています。この青梅街道を東へ少し行くと武蔵野線新小平駅があります。  (「(第3)東京近郊の鎌倉橋」より)]

カメラ北北東方向が玉川上水(鎌倉橋)です。