百万遍供養塔

マーカーは百万遍供養塔です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。百万遍供養塔のあった場所は、絵図反転表示の四つ切左上・「入間」下、弁天社下の二又ではないかと思います。そうであるならば、NTT中央研修センタ内に古道があったものと思われます。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図を見ると、NTT中央研修センタ内に古道があるのがわかります。百万遍供養塔道標によると、NTT中央研修センタ内道路が「右 世田谷 目黒道」、中央学園通りが「右 世田谷 目黒道」で、明照院方向が「是より泉むら 子安地蔵尊二十五丁」になると思います。

百万遍供養塔
[百万遍(ひゃくまんべん)とは、人々が円陣を組んで座り、大きな数珠を送りながら、念仏を百万遍唱えて、疫病退散などを祈る百万遍念仏のことです。
この塔は、泉村(現・狛江市)泉龍寺の子安地蔵尊へお参りに行く人たちのために、道しるべとなるよう、入間村の念仏講の人たちが建てた供養塔です。
昭和43年、入間町の中央電気通信学園の前の道路拡幅工事の際、土中から掘り出されました。  (「百万遍供養塔 | 調布市」より)]

[この供養塔は、天明元年(1781)、当時の入間村 原の念仏講の人たちが、泉村泉龍寺(狛江市)に祀る延命子安地蔵尊に詣でるひとたちのために建てたものである。この塔は、念仏塔であるとともに塔身に「是より泉むら 子安地蔵尊二十五丁 右 世田谷 目黒道 左り 江戸四谷道」と刻まれ、これらの地からやってくる参詣者たちの道しるべとして重要な役目を果たしてきた。かって、このあたりは七曲がり道と呼ばれ、小道であるばかりでなく、藪道・坂道が多いうえに、寂しく迷いやすいところであったので、道行く人はこの道標を見て安堵したに違いない。この供養塔は、昭和四十三年中央電気通信学園前道路の拡幅工事に際して、学園内に移されたが、同六十二年再び元の位置にもどして建立した。
            昭和六十二年八月六日 調布市教育委員会  (「profile/七曲がりの坂」より)]

百万遍供養塔 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向に百万遍供養塔と案内板があります。

百万遍供養塔(Google Map 画像)

百万遍供養塔案内板(Google Map 画像)