石神井公園

マーカーは三宝寺池バス停前です。

石神井公園
[石神井公園(しゃくじいこうえん)とは、東京都練馬区にある都立公園である。
園内には、石神井池、三宝寺池がある。井の頭池善福寺池と並び、武蔵野三大湧水池として知られている。三宝寺池は古来より、武蔵野台地からの地下水が湧き出る池として存在していた。それを1959年に市民が散策できる公園として整備し、自然や野鳥と共存できるように造られた。園内には、沼沢植物群や雑木林が見られ、23区内とは思えないほど緑豊かな武蔵野の面影を残している。但し、年々水量が減少し、景観維持のため、池の水も人工的に地下水から揚水している。
三宝寺池
三宝寺池の一部は、国指定の天然記念物である三宝寺池沼沢植物群落がある。1935年に指定された。中ノ島を中心に、カキツバタをはじめ、シャクジイタヌキモやジュンサイなどが生い茂っていた。しかし、1950年代後半から、周辺は都市化が進んだこと、ヨシなどの植物を周辺の人が利用しなくなったため、植生が大きく変わった。その後、貴重な水生植物を保護するために、保護活動が行なわれている。一時期、日本初の100mプールとして使われ、その後に釣り堀となっていた部分は、1989年に水辺観察園として整備されている。
三宝寺池は石神井川の水源とされる。流域の豪族であった豊島氏も、この水の支配の為、この池の南の台地に石神井城を築城した、とされている。
石神井池
石神井池(ボート池)は、三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、三宝寺池とともに武蔵野の景観を保護する目的で人工的に作られたものである。もともと三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路であったが、それを人工的にせき止めて池とした。1933年に作られた。
公園周辺
当地付近は、元々武蔵野を支配した豊島氏の居城(石神井城)があり、同氏が室町時代に滅ぶまで在った。公園内に空堀の一部が残る。近辺には、豊島氏や豊島氏を滅ぼした太田道灌にまつわる遺跡や神社がある。
三宝寺池には石神井城落城の際に豊島氏の姫、照姫が身を投げたと言う伝説があり、練馬区では照姫を偲んだ照姫まつりを1988年(昭和63年)より毎年4月-5月に開催している。
「三宝寺池」と厳島神社・wikpedia-photo

石神井池(ボート池)・wikipedia-photo

ボート池とチューリップ・wikipedia-photo

八重桜並木・wikipedia-photo

照姫まつり(写真は2009年4月)・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、石神井公園の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・石神井公園より)]

石神井公園ホームページ」 – 「石神井公園 バリアフリーマップ

   
江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「三宝寺池 弁財天 氷川神社 石神井城址」(13-32)、「氷川明神解説」(13-33)
三宝寺池 弁財天 氷川神社 石神井城址(拡大図)

[図会左ページに三宝寺池、下池中に弁財天、右ページ中程に氷川神社、下に城山が描かれています。]

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カメラ位置は三宝寺池バス停前で、カメラ道路西側が三宝寺池、東側が石神井池です。

三宝寺池西端のカメラです。

石神井池(ボート池)東端のカメラです。

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