良辨塚

マーカーは良辨塚です。

良辨塚
[良辨<僧都は、南北朝時代の僧侶で、ここから五百メートルほど東にある南蔵院の中興第一世です。良辨は、日本各地の霊場を巡拝し、数百部にのぼる法華経(妙法蓮華経)を書き写して奉納して廻りましたが、最後にたどり着いたこの中村の南蔵院に滞留し、周辺の人々を教化したと伝えられています。
 この塚は、碑文によると延文二年(一三五七)三月二一日に建立されています。南蔵院は真言宗の寺院ですので、開祖である弘法大師(空海)が高野山入定した承和二年(八五三)三月二一日の月日に合わせて建てられたと考えられます。建立時に経筒(直径三センチ、高さ十センチで銅製の筒)が埋納され、江戸時代に塚を改修した後は南蔵院に補完されています。建立当時この場所は、鎌倉街道の一つに面しており、街道から南蔵院に入る角に経塚を築いて供養し、人々の幸せの願ったのでしょう。
 なお『新編武蔵風土記稿』に良辨僧都を永正年間の人と記しているのは誤りです。また奈良時代東大寺大仏建立に尽力した別当良辨僧正とは別人です。
 敷地内にある庚申塔や道標などの石造物は、後にこの地に移されたものと考えられます。
    平成二三年三月 練馬区教育委員会  (「練馬区 – 想像してみよう、その光景を (仮題) – はてなブログ」より)]

石幢七面六観音勢至(せきどうしちめんろっかんのんせいし)道しるべ
[南蔵院(なんぞういん)が管理している良弁塚(りょうべんづか)にあります。元文(げんぶん)5年(1740年)の銘があり、区内に残る唯一の七面(しちめん)の石幢(高さ約2.5メートル)です。七面(しちめんの)それぞれの面には、准提(じゅんでい)、十一面馬頭千手(せんじゅ)・(しょう)・如意輪(にょいりん)の6つの真言系観音と勢至菩薩が彫られています。台石(だいいし)は東西南北の道標(どうひょう)になっています。もとは現在地より数十メートル東にあったと言われています。
 昭和62年度区登録・平成9年度区指定  (「石幢七面六観音勢至道しるべ (せきどうしちめんろっかんのんせいし …」より)]

「練馬区中村、良弁塚の「石幢七面六観音勢至道しるべ」 ( 歴史 ) – TATSU 」

良辨塚 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が良辨塚です。