マーカーは西恋ヶ窪熊野神社です。
西恋ヶ窪熊野神社
[熊野神社の由緒によれば、起源は不詳で、元弘建武の頃(1331)新田義貞が鎌倉勢と戦の時、兵火に焼失したという。
社殿の奥には松尾芭蕉の俳句や地元出身の俳人宝雪庵可尊の句碑がある。
北側には、文明18年(1486)京都聖護院道興准后が、東行の時「廻国雑記」によんだという歌碑が立っている。
「朽ち果てぬ名のみ残れる恋が窪 今はた問ふもちぎりならずや」 (「鎌倉 上の道 7.西国分寺-所沢」より)]
[熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都国分寺市西恋ヶ窪にある神社である。旧社格は村社。9月9日の例大祭には神輿の火渡りが執り行われる。
創建年代は明らかではなく、最も古い年代の社伝は元弘・建武年間の頃(14世紀前半)、新田義貞と鎌倉幕府との兵火によって社殿を焼失したというものである。文明18年(1486年)5月、道興准后が奉納したと伝わる歌額を奉納したと伝えられており、伝えられる歌を刻銘した歌碑が、明治7年(1874年)境内に建立された。 (wikipwdia・熊野神社_(国分寺市)より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「恋ヶ窪 阿弥陀堂 傾城松 牛頭天王」(9-37)
恋ヶ窪 阿弥陀堂 傾城松 牛頭天王(拡大図)
[図会、左ページ下に「こいがくぼ」(姿見の池)、その左上に「阿弥陀堂」、右上に「東福寺」、右ページ中程右端に熊野(西恋ヶ窪熊野神社)が描かれています。]
「熊野神社鳥居 – Google Map 画像リンク」、「熊野神社 – Google Map 画像リンク」
カメラ東南東方向が恋ヶ窪熊野神社です。
恋ヶ窪熊野神社のストリートビューです。
恋ヶ窪熊野神社拝殿前のストリートビューです。