阿佐ヶ谷パールセンター

    上地図右のサードバーのマーカーポイント名をクリックするとマーカーポイントの吹き出しが表示されます。

    今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
    地図を見ると、阿佐ヶ谷パールセンターの周辺は1917年~1924年までの地図では農地で描かれ、1927年~1939年地図から市街区域が描かれ宅地開発が進められたことがうかがえます。

    阿佐ヶ谷パールセンター
    [「阿佐谷パールセンター」は以前は、「阿佐ヶ谷南本通り商店会」と呼ばれていました。あまりに長いネーミングのため、昭和35年に愛称を一般公募し、「阿佐谷パールセンター」という名前が選ばれたそうです。
    「阿佐谷パールセンター」は昭和10年頃に、大きな3つの市場と120軒ほどの商店が立ち並ぶ杉並有数の商店街でした。第二次世界大戦の激化で、商店街は衰退し、昭和20年頃には強制疎開を命じられ、わずか1週間で空き地になってしまったそうです。
    そこへ戦後になって、闇市が多数たち、現在の「阿佐谷パールセンター」の原型が出来上がったそうです。当初は車の行きかう商店街でしたが、昭和27年に車の往来を止め、「阿佐谷パールセンター」は都内第1号の歩行者専用道路(歩行者天国)になるという、栄誉を受けました。
    そして、さらなる繁栄を願い、暑い盛りの8月にも、何とか阿佐ヶ谷の街に大勢の人を集めることはできないだろうかと、商店街の方々が頭をひねって日本全国の夏祭りを視察し、昭和29年に第1回七夕祭りの開催がスタートしたそうです。  (「都内初の歩行者天国商店街「阿佐谷パールセンター」:阿佐」より)]

    [「阿佐ヶ谷駅」から「青梅街道」方面への道は古道「鎌倉街道」の一部であり、練馬の「貫井弁天」と「堀之内妙法寺」を結ぶ参詣道だった。1922(大正11)年に「阿佐ヶ谷駅」が開設され、住宅街として発展し始めた頃から、商店が建ち並ぶようになった。「阿佐谷南本通商店会」が発足した後は、並行して走る「中杉通り」の整備と合わせるように、1954(昭和29)年には歩行者専用の道路となり、夏の風物詩となる「阿佐谷七夕まつり」をスタートさせた。写真(画像リンク)は「青梅街道」側の入口でアーチ照明が完成した時のもの。1960(昭和35)年には「阿佐谷パールセンター」の愛称が公募で選ばれ、2年後には全面アーケードとなった。  (「3:「関東大震災」後の街づくり、地域の発展と整備 ~ 荻窪 | このまち …」より)]

    阿佐ヶ谷パールセンターホームページ」 – 「パールセンター商店街と、その街路の歴史

    カメラ南南東方向が阿佐ヶ谷パールセンターで、右角に昭和27年創業の和菓子「鉢の木 阿佐ヶ谷本店」があります。

    昭和27年創業の和菓子「鉢の木 阿佐ヶ谷本店」(釜人 鉢の木 阿佐ヶ谷本店 (かまんど はちのき … – 食べログ)
    (株)釜人鉢の木 阿佐谷店 – Google Map 画像リンク

    カメラ北東方向が創業昭和11年の「蒲重蒲鉾店」です。(蒲重蒲鉾店 – 阿佐ヶ谷/おでん [食べログ])
    蒲重蒲鉾店 – Google Map 画像リンク

    カメラ西北西方向が鰻屋・テイクアウト専門の焼き鳥店「稲毛屋」で、カメラ南南西方向に「青面金剛像・地蔵菩薩像」(パールセンターのお地蔵さん)があります。(稲毛屋 – 南阿佐ヶ谷/うなぎ [食べログ])
    稲毛屋 – Google Map 画像リンク

    カメラ南南東方向が大正14年創業の和菓子「とらや椿山」です。(とらや椿山 – 阿佐ヶ谷/和菓子 [食べログ])
    とらや椿山 – Google Map 画像リンク

    カメラ南東方向が角打ち「酒ノみつや」です。(酒ノみつや (三矢商店) – 南阿佐ヶ谷/日本酒バー [食べログ])
    酒ノみつや – Google Map 画像リンク

    カメラ東方向が和菓子 福吉で、左隣が角打ち「酒ノみつや」です。(福吉 – 南阿佐ヶ谷/和菓子 [食べログ])
    福吉 – Google Map 画像リンク

    阿佐ヶ谷パールセンター南端のカメラです。

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