マーカーは高松八幡神社です。
高松八幡神社
[高松八幡神社(たかまつはちまんじんじゃ)は、東京都練馬区高松一丁目にある神社。八幡宮の一社である。正式名称は「八幡神社」だが、練馬区内には同じ八幡神社が3社あるため、道路標識などでは地名から「高松八幡神社」と呼称される。高松、向山、貫井の氏社であり、中野区鷺宮にある鷺宮八幡神社とは鎌倉街道を挟んで対に建てられたことから「若宮八幡宮」とも呼ばれている。
名から「高松八幡神社」と呼称される。高松、向山、貫井の氏社であり、中野区鷺宮にある鷺宮八幡神社とは鎌倉街道を挟んで対に建てられたことから「若宮八幡宮」とも呼ばれている。
由緒
社伝によれば、康平7年(1064年)に前九年の役に勝利し東北地方を平定した源頼義が戦勝を感謝し、国家と源氏の安寧を願い建立したのが始まりとされる。鷺宮八幡神社も同じ由緒であり、両社は鎌倉街道を挟んで南北に建立されている。鷺宮の方が先に建立されたため、高松の方は若宮八幡と呼ばれるようになった。
『新編武蔵風土記稿』上練馬村の項目では、「八幡社、村ノ鎮守ナリ。社領8石ノ御朱印ハ、慶安2年(1649年)11月17日附セラル。神明、春日ヲ合殿トス。愛染院持。」とある。また、『文政4年上練馬村村方明細書上帳』では鎮守八幡宮とあり、これより以前、寛政6年(1794年)に古川古松軒が編纂した地誌『四神地名録』では若宮八幡宮と呼ばれていた。明治5年(1872年)に上練馬村の村社となった。
現在の社殿は本殿が享和3年(1803年)の建立で、幣殿、拝殿が大正9年(1920年)に改築されたものである。社殿脇には昭和38年(1963年)建立の神楽殿がある。
練馬区登録有形民俗文化財
石造大山不動明王像 – 享和3年に氏子たちによって寄進された不動明王の石像で、境内石段脇に設置されている。正面には「石坂供養大聖大山不動明王」と刻まれており、側面には建立年と寄進者名が刻まれている。石像の脇には4体の童子像がある。かつてこの地から大山阿夫利神社へ大山詣をする者はこの像に無事を祈願し、石神井川で身を清めてから出立したという。平成18年(2006年)に区の登録有形民俗文化財に登録された。
高松八幡神社参道鳥居・wikipedia-photo
拝殿・wikipedia-photo
不動明王像・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、高松八幡神社の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・高松八幡神社より)]
八幡神社の石造大山不動明王像
[高さ213センチメートルの石造で、角柱形の塔(高さ64センチメートル)の上に不動明王像が座っています。像は高さ47センチメートル、高肉彫りで、両眼を開き、左手に羂索(けんさく)、右手に宝剣(剣先欠損)を持ち、火焔光背(かえんこうはい)を背にしています。塔の正面には「石坂供養大山大聖不動明王」と刻まれています。左右側面の陰刻から、享和3年(1803年)5月に、高松出生の「佐久間氏」、志村の「大野藤左衛門吉住」、および高松・貫井の発願人4名により造立され、飛鳥山の石工「伊藤富次郎廣重」が造ったことがわかります。高松・貫井地域の人たちが、雨乞いの霊場とされる大山(神奈川県伊勢原市大山寺)を信仰して造立したもので、かつての農村生活をうかがわせる資料です。画像リンク
平成18年度区登録 (「練馬区ホームページ – 八幡神社の石造大山不動明王像 (はちまんじんじゃのせきぞうおおやまふどうみょうおうぞう)」より)]
石造大山不動明王像案内板
[練馬区登録有形民俗文化財 八幡神社の石造大山不動明王像
神奈川県の大山を信仰する氏子たちによって、享和三年(一八〇三)に建立された大山不動明王像です。
正面に「石坂供養大山大聖(だいしょう)不動明王」、向かって右側に建立年、向かって左側には発願人の名前が刻まれています。
大山 は、雨乞いの山として農村であった練馬でも崇拝されました。当地から大山に参詣する人は、氏神およびこの不動明王にお参りしてから、石神井川で身を清めて、大山詣でに出発したと伝えられています。
平成十九年(二〇〇七)三月
練馬区教育委員会 (「練馬区登録有形民俗文化財 八幡神社の石造大山不動明王像」より)]
「高松八幡神社 – Google Map 画像リンク」、「八幡神社の石造大山不動明王像 – Google Map 画像リンク」
カメラ北方向が高松八幡神社参道です。
高松八幡神社拝殿前のカメラです。
石造大山不動明王像前のカメラで、カメラ東北東方向に石造大山不動明王像案内板があります。