三軒茶屋(大山道の道標)

マーカーは大山道の道標です。

大山道マップと史跡ガイド」 – 「大山道マップ(A3版) (PDF形式 2,966キロバイト)

Goo 地図 – 昭和22年写真[赤のマークが闇市開設前後の写真です。]、昭和38年写真」[赤のマークが闇市の後に建つ仲見世商店街です。]

三軒茶屋(大山道の道標)
[江戸時代中期以降、社寺参詣ブームで賑わった大山道登戸道の分岐(追分)付近に信楽(後に石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋が並んでいたことに由来する。この呼び名は文化文政の時代には既に一般的なものとなっていたようである。大山道(大山街道)は、現在のほぼ国道246号にあたり、瀬田二子橋を渡り大山へ向かう。登戸道は、井伊家知行地の世田谷代官屋敷(現在の世田谷区世田谷ボロ市通り沿い)や世田谷の上町(武家町)を通って登戸に向かう街道筋であり、現在の世田谷通りにあたる。
「三軒茶屋交差点。左が玉川通り、首都高速3号渋谷線。右が世田谷通り。」・wikipedia-photo、「三軒茶屋交差点から世田谷通りに入ったところ。商店街。」・wikipedia-photo、三軒茶屋交差点にある大山道の道標・wikipedia-photo  (wikipedia・三軒茶屋より)]

[三軒茶屋の地名は、江戸時代に大山道の本道(今の世田谷通り)と近道(今の国道246)の分岐点に信楽(後に石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋があった事に由来します。当時は神奈川県丹沢の大山にある阿夫利神 社へ雨乞いに行く大山詣が流行し、文化文政の頃には三軒茶屋という呼称が一般的になっていたそうです。
明治30年代になると三宿から三軒茶屋一帯(今の世田谷公園のあたり)に軍事施設がつくられ軍関係者を相手にした商店が立ち並び、商店街が自然発生的に形成されていきました。
明治40年には、玉電(玉川電気鉄道)が渋谷〜二子玉川に開通、三軒茶屋に電車が走り出します。
関東大震災後、都心で家を失った人達が、玉電が通る交通便利な三軒茶屋に多く流入し、人口が急増し商店街も急速に発展してきました。
太平洋戦争東京大空襲で、軍事施設のあった三軒茶屋周辺も罹災しました。終戦後、焼け跡になった商店街にバラック建ての商店(闇市)が並びはじめ、復興がはじまります。
昭和25年には仲見世商店街が建設されます。朝鮮戦争を期に三軒茶屋も急速に発展をとげますが、道路の整備がなされぬまま商店やアパートが急増し、いまだに残る ごちゃごちゃした町並みが形成されていきました。  (「三軒茶屋どっと混む! 三軒茶屋ドットコム 三軒茶屋商店街公式」より)]

[1900年頃、三軒茶屋から三宿にかけて数多くの軍事施設が作られ、軍人を相手とする商店が建ち並ぶようになる。
1907年、二子玉川から都心に砂利を輸送するため、渋谷~玉川間に玉川電気鉄道玉川線が設置され、三軒茶屋駅が開設される。
1923年、関東大震災発生。家を失った都心の人々が三軒茶屋周辺に流入し、人口が急増。
1925年、玉川電気鉄道の下高井戸線(後に世田谷線)が開業。
1932年、荏原郡の町村は東京市に編入されて世田谷区となり、「三軒茶屋」は正式な町名となった。
1942年、玉川線は東京急行電鉄の路線となった。
1945年、東京大空襲で壊滅的被害を受ける。敗戦後、246号と世田谷通りの間の三角地帯に闇市が形成された。
1951年、月賦百貨店「緑屋(後にクレディセゾン)」(太子堂四丁目)が開店。
1969年、246号上に首都高速3号渋谷線が建設されることになり、玉川線が廃止となる。高架橋で街が分断され、高度経済成長期に発展が阻害される。
1977年、東急新玉川線(後に田園都市線に統合)が開通し、246号の地下に三軒茶屋駅が開設される。
1985年、「緑屋」跡地が再開発され、「ams西武(後に西友三軒茶屋店)」が開店。
1992年、246号沿いの三軒茶屋映画劇場が閉館し、周辺(三軒茶屋二丁目)がサンタワーズとして再開発される。
1996年、世田谷線三軒茶屋駅周辺(太子堂四丁目)が再開発され、キャロットタワーが開業。地下道で新玉川線三軒茶屋駅と連絡される。
2014年、三軒茶屋シネマが閉館し、三軒茶屋からは映画館が消えた。
現在、三角地帯を再開発して高層ビル2棟を建設する計画が進められている。   (「三軒茶屋 (さんげんぢゃや)とは【ピクシブ百科事典】 – pixiv」より)]

大山道
[大山道(おおやまみち・おおやまどう)とは、主に江戸時代の関東各地から、相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称。大山街道(おおやまかいどう)とも呼ばれる。代表的なものとして、「田村通り大山道」や「青山通り大山道」などがある。
青山通り大山道
道標(2010年5月5日)
世田谷区三軒茶屋交差点の分れにある。
矢倉沢往還の別名で、江戸から大山へ向かう経路上で青山を通ることから、東京都内の一部箇所にて局地的に「青山通り大山道」と呼ばれる。江戸時代には江戸からの参詣道として盛んに利用され賑わった。途中の下鶴間宿に、大山阿夫利神社の分社が存在する。
現在でも神奈川県内で「大山街道」の名が定着している道である。
●経路:赤坂(以降、東京都) – 青山渋谷三軒茶屋二子の渡し多摩川) – 溝口神奈川県川崎市) – 荏田横浜市) – 長津田下鶴間大和市) – 国分海老名市) – 厚木の渡し(相模川) – 厚木(以降、厚木市) – 愛甲 – 下糟屋(以降、伊勢原市) – 上粕屋 – 石倉 – 田村通り大山道を経て大山へ
太字は人馬継立場
道標(2010年5月5日)世田谷区三軒茶屋交差点の分れにある・wikipedia-photo  (wikipedia・大山道より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央付近・「中馬引沢」右に「立場 三軒茶屋」と描かれています。)

大山道道標 – Google Map 画像リンク」

カメラ西北西方向に大山道の道標があります。

カメラ南南東方向がエコー仲見世商店街です。

カメラ北西方向が三茶3番街です。