八雲通り

マーカーは八雲通りです。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「衾」上方向・常圓寺、東光寺、氷川、金蔵院前の通りが八雲通りです。]

東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「最新交通指導地図荏原郡碑衾町」[地図左グリーンエリアの字衾530番から557番までが八雲通りです。]

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で府立高等の下の通りが八雲通りです。

[区内を縦断する目黒通りの前身は、二子道と呼ばれていた。昭和9年から昭和40年にかけて徐々に整備され、広く真っすぐな道になったが、以前は、途中、何か所かで大きく迂回する、かなり曲がりくねった道であった。
さて、この道路整備の際、目黒通りから取り残されたうかい部分の一つが、柿の木坂の下、東横線のガード付近から氷川神社の参道に向かって、大きく弧を描いて走る道。沿道に古社寺が連なり、近年まで数百年間にわたって、旧衾村地域のメインストリートとして栄えてきたこの通りを、昭和初期まで、乗り合い馬車がラッパを鳴らしながら、行き交っていたという。
なお、「八雲通り」の名は、戦後、商店会結成時に付けられたもの。この通りに初めて開店した商店の2階で、文豪国木田独歩が青年時代を過ごしたともいう。  (「目黒のみち 八雲通り :目黒区公式ホームページ – 目黒区役所」より)]

カメラ西北西方向が八雲通りです。

カメラ東北東方向が八雲通りで、通り左が八雲氷川神社参道です。