小岩の一里塚

マーカーは小岩の一里塚です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、中央右下方向・伊与田と下岩田の中間、元佐倉道中と岩槻街道が交差する場所が一里塚がある場所になります。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、線路下、千葉街道両側に塚らしきものが描かれています。

小岩の一里塚
[一里塚とは、江戸時代の街道付属施設の一つで、江戸日本橋を起点に一里(約4km)毎に、道の両側に増築され、を植えるのが定型になっいました。
 小岩の一里塚は、総武線のガードの南側で千葉街道沿い、岩槻街道との分岐点にありました。昔は小高い丘になっていて、須賀神社の小祠もあって、昔日の一里塚の名残をとどめていました。
 「葛西誌」には、「此辺の一里塚も慶長年中(一五九六 – 一六一四)、本多佐太夫、水田右衛門、太田勝兵衛等が奉行して築きしなるべし」と記されています。
 昭和三九年六月頃、須賀神社は北野神社に(北小岩三 – 二三 – 三)に合祀され、一里塚の跡には民家が建ち、全くその姿を失いました。今では、バスの停留所名にその名をとどめています。
   昭和五十三年七月設置
   平成十七年三月改訂    江戸川区教育委員会]

カメラ北北西方向に小岩の一里塚案内板があります。