川越藩(前橋藩)越前松平家抱屋敷(砂村新田跡)

マーカーは砂村新田跡案内板です。

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砂村新田跡
[江東区登録史跡
 砂村新田跡 南砂一~七、東砂八
 砂村新田は、砂村新左衛門一族により開発されました。新左衛門は、越前国砂畑村(福井県鯖江市)の出身といわれ、一族の新右衛門、三郎兵衛、新四郎、新三郎とともに関東に移ると、野毛新田(吉田新田横浜市)、内川新田横須賀市)そして当地の新田開発にあたりました。
 この辺りは、海岸の地湿地で、島のように点在する寄り洲を核にして土地を造成したと考えられています。万治二年(一六五九)には、四三四石の新田が完成し、開拓者の姓をとって砂村新田と名付けられました。その範囲は、西は横十間川、南は海岸、東は中川まで及び、区内で開発された新田のなかで最も広い面積を有しました。
 砂村新田は、開発以来、特産の砂村ネギなどをはじめ、新鮮な野菜の供給地として、江戸・東京の台所を支えました。
 平成二十三年九月    江東区教育委員会  (「Google Map 画像」より)] 

[砂村新田は砂村新左衛門主導の下、砂村新四郎らが江戸時代初期の万治年間に開発した。新左衛門の弟、新右衛門が新四郎を補佐したと思われる。その後、新四郎の子孫(金三郎家)が砂村新田の名主を長く(明治維新の名主制度廃止まで)務め、新四郎のみの名前が言い伝えられたため、『新編武蔵風土記稿』では「新四郎が開発」と記述されたが、今では開発主導者は新左衛門であるとの説が定着している。
砂村新田の範囲については正確な伝承が乏しく、変動がある。しかし概ね北は砂村境川(今は清洲橋通り)、南は海(今は夢の島などの埋立地)、東は中川(今は荒川)、西は十間川(今は横十間川)で囲まれる四辺形が基本的な範囲(但し、北東側は同時期開発の八郎右衛門新田で、南西側は後に平井新田に、北西側の一部は永代新田飛び地になった)である。現在の地名としては江東区の「南砂」全域と「東砂」の一部が該当する。北西側は三角州のような形状になっているので、この辺りを基点に干拓が行われたものと思われる。この辺りの小高い洲が宝六島と呼ばれていたことから、新左衛門はこの新田に「宝六島新畠」と名づけたが、その死後は江戸時代を通して「砂村新田」という村名で呼ばれた。  (wikipedia・砂村新左衛門#砂村新田についてより)]

「江東区の文化財城東編」による仙気稲荷神社の由緒
[仙気稲荷神社(南砂3−4−2)
「神社明細帳」によれば、万治二年(一六五九)当所開墾の際、村中安全五穀豊穣を祈願のために祀ったという。『南葛飾郡神社要覧』によれば、大智稲荷又は砂村稲荷と称し、万治二年五穀豊穣熱病消除のために当地開墾のときに海岸堤に祀るという。神職荒井家に残る由来記に、江ノ島明神奥の院を波除のために堤に遷座し、祭神は大市比売命、穀神稲倉魂、むらの病除けのため須佐之男命を勧請した。大市比売稲荷とも大智稲荷とも称した。開発成就、五穀成就のために万治年間(一六五八~六一)に社頭に柴燈護摩を修行した。ここは修験草々の地であった。文政八年(一八二五)に長州藩の抱屋敷となり、稲荷の社地八〇〇坪の地税を除かれ、社殿・祈願料も寄付され、その後、この地は川越城主松平大和守(松平斉典)に譲られ、長州家から口達申次があり、境内地の一般地税が除かれた。次いで雲州松平少将(出雲国松江藩主松平(斉斎)斉貴)に譲られ、松平斉貴はことのほか信仰され神前に燈寵を一対奉納されたという。この社は長州藩・川越藩・松江藩などの抱屋敷地となり、各武家から深く信仰されていたようである。
昭和二〇年の戦災で社殿を焼失し、一時仮宮が建てられたが、昭和四二年にそれまでの神職が習志野市に転出し、跡地に都営住宅が建てられた。昭和四五年、残された者たちが再度仙気稲荷神社を再建し、保存会を結成し維持している。(「江東区の文化財城東編」より)  (「仙気稲荷神社|江東区南砂の神社、旧仙気新田村鎮守 – 猫の足あと」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図(嘉永五年・1852年)」(絵図右下に松平出羽守(松平斉貴)下屋敷が描かれ、屋敷地の右上に大知稲荷と記述されています。川越藩(前橋藩)越前松平家抱屋敷地は、この右側になります。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 深川十万坪ヨリ中川海手迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(コマ番号2/4・絵図右下、砂村新田 松平大和守(松平斉典)抱屋敷が描かれています。)

「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」」の「1896~1909年」地図」(地図中央に砂村新田、その下に習志野市に移転前の稲荷神社が描かれています。現在の仙気稲荷神社はこの少し左方向になります。また砂村新田右に八郎右衛門新田、左側に平井新田と記述されています。)

砂村新田跡 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は南砂三丁目公園北口で、カメラ西南西方向に砂村新田跡案内板が設置されています。