本城寺(鹿骨の庚申塔河原道石造道標)

マーカーは本城寺です。

国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、絵図四つ切右下、東井堀右の鹿骨が描かれています。その付近に本城寺があることになります。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、鹿骨の「鹿」の左の「卍」が本城寺です。

本城寺
[東京都江戸川区にある日蓮宗の寺院。弘治元年(1555年)本土寺12世日暁の隠居寺として創建。関東大震災本堂が倒壊。現在の本堂は昭和4年(1926年)建立の4代目。山号は妙高山。  (wikipedia・本城寺)]

[東京の下町江戸川区鹿骨にある日蓮宗のお寺です。
花と小松菜の生産で知られるこの町に弘治元年(1555年)より法灯(ほうとう)を継承し続けているのが本城寺です。
東京と言ってもお寺の周りは今でも畑があり生活するにはとても静でよい環境です。
ときどき近所の方が「うちの畑で取れた野菜ですが…」と立ち寄ってくれる。そんなお寺です。
みなさんと一緒に、学び、そのご縁を大事に広げて行きたいと考えています。 
本城寺の縁起
千葉県松戸市(平賀)本土寺の末寺。弘治元年(1555年)本土寺の十二世日暁上人が鹿骨の地に隠棲して草庵結んだのが始まりで、本尊十界大曼荼羅をまつる。六世日鐃上人の代に火災で全焼し十世日覚上人が仮本堂を再建して復興につとめたが、寛永五年(1628年)十二月本土寺の貫主日述上人が、不受不施に連座して四国に流罪になり、当山もその余波を受けて信徒の改宗する者も多かった。しかし寛文九年(1669年)頃には改宗した信徒も帰り、十一世日通上人が本堂を再建し、天保十二年(1841年)には二十二世日鏡上人が再度改築した。その後大正十二年九月十二日 二十七世日徳上人入寺の時に、関東大震災で本堂が倒壊するなど度々の災害を受けている。(「江戸川区史」)参照
現在の本堂は昭和四年四回目(日徳上人代)の建立である。  (「妙高山 本城寺|日蓮宗 寺院ページ – 日蓮宗ポータルサイト」より)]

[鹿骨の庚申塔河原道石造道標
文化11年(1814)に建立された庚申塔で、正面には青面金剛像と三猿の下に「西、江戸道、講中」、左側面に「南、かわら道」、右側面には「北、浅間道」と刻まれています。高さ199センチメートル。もとは鹿骨3丁目(Google Maps)田島家南東隅の旧河原道に面して建てられていました。近年、本城寺墓地入口隅に移設され、庚申塔として祀られています。
●江戸川区登録有形文化財・歴史資料
●鹿骨4丁目20番1号 本城寺
昭和58年3月15日 告示  (「鹿骨の庚申塔河原道石造道標 江戸川区公式ホームページ – 江戸川区役所」より)]

本城寺|江戸川区鹿骨にある日蓮宗寺院 – 猫の足あと

135 河原道の記憶を残す 本城寺 江戸川区公式ホームページ

妙高山本城寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が本城寺山門です。