法養寺

マーカーは法養寺です。

江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、四つ切右下・境川左、西一之江に法養寺があります。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年の地図の、西一之江の下の「卍」が明治三十九年火災前の法養寺で、現在地はその上の墓地になるのではないかと思います。

法養寺
[浄土宗寺院の法養寺は、摂取山光照院と号します。法養寺は、貞誉法養大和尚(天正2年1574年寂)が大永元年(1521)開山江戸末期には寺小屋を開いていたことから「こども寺」と呼ばれていたといいます。
新編武蔵風土記稿による法養寺の縁起
(西一之江村)法養寺
浄土宗、上今井村浄興寺末。光照山摂取院と号す。本尊阿弥陀を安ず。開山貞誉、天正2年5月18日寂。(新編武蔵風土記稿より)
江戸川区教育委員会掲示による法養寺の縁起
浄土宗で摂取山光照院と号し、大永元年(1521)貞誉法養大和尚によって開山されました。本尊には阿弥陀如来をまつっています。(江戸川区教育委員会掲示より)
●新編武蔵風土記稿による法養寺の縁起
法養寺(西一之江一丁目一〇〇七番地)
浄土宗で摂取山光照院と号し、大永元年(一五二一)貞誉法養大和尚(天正二年入寂)によって開山された。本尊は阿弥陀如来、昔寺子屋が開かれていたので「こども寺」と呼ばれていた。当山第二十二世厳誉連瑞上人は江戸末期から明治初頭にかけて寺子屋を開設し、筆子は旧東小松川村、松江村、瑞江村一帯から集まって盛観を呈した。
当寺は明治三十九年失火によち全焼し古記録を失った。昭和四十七年七月鉄筋コンクリート二階建の本堂が新築された。(新編武蔵風土記稿より)  (「法養寺|江戸川区西一之江にある浄土宗寺院 – 猫の足あと」より)]

法養寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が法養寺山門です。