岡崎藩本多家中屋敷跡

マーカーは岡崎藩本多家中屋敷跡です。

関連リンク – 岡崎藩本多家上屋敷岡崎藩本多家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP464・コマ番号276/553から岡崎藩屋敷の変遷について記載されています。P468・コマ番号278/553「中屋敷 浅草茅町」がこの地になります。

本多忠民
[本多 忠民(ほんだ ただもと)は、讃岐国高松藩主・松平頼儀の四男として誕生。岡崎藩主・本多忠考の婿養子となり、天保6年(1835年)5月1日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年5月24日、忠考の隠居により家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下中務大輔に叙任する。
弘化3年(1846年)に寺社奉行となる。安政4年(1857年)に京都所司代に転任し、朝廷対策、特に条約締結問題で朝幕間を奔走した。万延元年(1860年)より2年ほど老中を務める。元治元年(1864年)に再任の台命が下った際は一旦は固辞しているが、結局就任した。戊辰戦争の際は岡崎藩を恭順に統一した。  (wikipedia・本多忠民より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 浅草御蔵前辺図(嘉永六年・1853年)」(絵図四つ切左下・本多中務大輔(本多忠民)中屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 拾五之二(弘化二年・1845年)」(コマ番号・2/2、絵図四つ切右上・御米蔵右に本多中務大輔(本多忠民)下屋敷と描かれています。)

カメラ南南東方向が岡崎藩本多家中屋敷跡になると思います。