玉川上水(原宿村分水跡)

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玉川上水(原宿村分水跡)

[勿来橋跡
美しく整備された文化女子大前の公園を進むと、文化学園の旧正門あたりに勿来橋跡の石碑が残る。「勿来(なこそ)の関」で知られる勿来は福島県いわき市にある。橋名の由来は、江戸の頃、この地に福島の三春藩主であった秋田安房守の下屋敷があった、ため。 
原宿村分水
『上水記』に、亨保9年(1724)、原宿村分水が開通とある。文化女子大のあたりを走る玉川上水から二カ所、キャンパスの東と西から弧を描くように南に下り、原宿村・隠田村・上渋谷村を潤した。代々木3-29(Google Maps)あたりにあった湧水も合わせ、神宮前3-28(Google Maps)、障害者福祉センターあたりで渋谷川に合流している。  (「玉川上水散歩そのⅦ:代田橋から四ッ谷大木戸へ – 時空散歩」より)]

玉川上水(原宿村分水跡)図(「土橋」の右方向、「千駄ヶ谷バシ」と「天神橋」の間、上側に「豊島郡千駄ヶ谷村地先原宿町分水口」と記述され、分水が描かれています。スクロールしてご覧ください。「東京都立中央図書館 – 玉川上水絵図 」より。)

  
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(絵図右上方向・秋田安房守と記述され、その右上神田上水に勿来橋と思われる橋が描かれています。)

東京都立図書館 Tokyouアーカイブ」 – 「東京府豊多摩郡内藤新宿町千駄ケ谷町」(地図左上・字新町裏下方向に原宿村分水が描かれています。玉川上水からの分水は確認できませんが、藤倉電線左の豊多摩郡代々幡村境界に分水路があった想像しています。)

東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「豊多摩郡大久保町・淀橋町」[淀橋浄水場下に天神橋が描かれています。天神橋右方向の橋が勿来橋、千駄ヶ谷橋、葵橋になります。天神橋と勿来橋間に原宿村分水路があったと想像しています。]、「豊多摩郡代々幡村

カメラ南東方向に玉川上水・原宿村分水があったと想像しています。

カメラ南東方向に勿来橋跡の碑が設置されていますが、「豊多摩郡大久保町・淀橋町」図から考えると、もっと東側にあったのではないかと思います。