マーカーは上目黒氷川神社です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上方向・「上目黒」上に氷川社と描かれています。]
上目黒氷川神社
[上目黒氷川神社(かみめぐろひかわじんじゃ)は、東京都目黒区大橋にある神社。大橋氷川神社とも称される。
当神社は天正年間(1573年~1592年)に当地の旧家加藤氏が甲斐国・上野原の産土神をこの地にむかえたものであるといわれている。その後、明治11年(1878年)に上目黒1-8にあった浅間神社を当神社に遷座、明治45年(1912年)に北野神社を合祀したものといわれている。
目黒富士
江戸時代、富士山を対象とした民間信仰が広まった。人々は富士講なる集まりを作り、富士山に登頂したほか、身近な所に富士山を模し塚を築き、祠を作った。目黒区内では現在の上目黒1-8付近に文化9年(1812年)に築かれたものがあり、高さは12mあった。文政2年(1819年)に現在の中目黒に新しく富士塚が築かれた事から、上目黒にある方を「元富士」と呼び、中目黒に造られた方を「新富士」と呼んだ。いずれの富士も安藤広重の「名所江戸百景」にも描かれた名所であった。元富士は1878年に取り壊され、同時に元富士のところにあった浅間神社も上目黒氷川神社内に遷座した。祠や石碑は1943年に上目黒氷川神社に移された。その後、1977年に上目黒氷川神社内に新たに目黒富士が築かれ毎年7月には山開きの例祭が行われている。
上目黒氷川神社・wikipedia-photo、名所江戸百景にみる目黒元不二・wikipedia-photo (wikipedia・上目黒氷川神社より)]
上目黒氷川神社資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号7/7・絵図中央下に「氷川神社」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [4]拾六中」(コマ番号5/5・絵図中央右下に氷川稲荷神社が描かれています。)
[大山道道標
大橋二丁目16番18号 天保13年(1842年)建立。
正面に「大山道 せたがや通 玉川通」、右面に「右ひろう めぐろ 池がミ 品川みち」、左面に「青山 あさぶみち」とある。大橋氷川神社石段下、玉川通りの車の排気ガスを受けながら立っている。大山道は、相模街道、矢倉沢往還、厚木街道ともいい、大山へ雨乞いに行く農民が通った道でもある。 (「目黒の道しるべ」より)]
「上目黒氷川神社 – Google Map 画像リンク」、「目黒富士浅間神社 – Google Map 画像リンク」
カメラ北北西方向が上目黒氷川神社参道です。鳥居左に大山道道標があります。
上目黒氷川神社参道石段上の境内のカメラです。