マーカーは十七が坂上の庚申塔です。
[目黒3丁目5番と18番の間を、長泉院方向へ上る急坂が十七が坂である。宿山と目黒不動尊を結ぶ庚申道の難関がこの坂越えであったという。そのため、この坂道を利用するのはもっぱら若者ばかりで、老人や子どもは坂下から西方へ迂回して藤の庚申で庚申道に合流する回り道を利用したという。あまりに急であったため、子どもが坂道の途中でころぶと、17歳になったとき不祥事が起きるという話が坂名の由来と伝えられる。また、坂上の板碑型庚申供養塔には、江戸時代の中目黒の有力者17名の名が刻まれ、あるいはこの碑から十七が坂の名が生まれたともいう。坂は今でも急で人通りも少なく、沿道に民家の木立が続いている。 (「十七が坂 目黒区」より)]
[十七が坂上の庚申塔 目黒3-3
江戸時代の農村では庚申信仰がさかんで各集落に講があり、その寄進で庚申塔が建立されました。
庚申塔には、青面金剛や三猿、年号、建立者名などが刻まれていて、村の歴史や人々の生活などを知るための貴重な資料です。
この庚申塔は前の十七が坂上にあるので「十七が坂上庚申塔」と呼んでいます。
墓地の中でひと際目立ち、高さ2メートル余りもある宝きょう印塔型の庚申塔は、寛永3年(1626)に建立されたもので都内でも古いもので菅沼一族8名の名があります。また、この塔の前の板碑型庚申塔には明暦3年(1657)の年号と、その下に7人の建立者名が刻まれています。その筆頭者に「権之助」の名前が見られます。「権之助坂」の名のおこりになった菅沼権之助ではないかと言われています。 目黒区教育委員会 (「目黒区ブログ ~ME-GU-RO~ 巡ろう! – 十七が坂庚申塔」より)]
カメラ位置は十七が坂の坂上で、カメラ東方向が坂上の庚申塔です。
十七が坂上の庚申塔(Google Map 画像)
十七が坂上の庚申塔-2(Google Map 画像)
十七が坂上の庚申塔案内板(Google Map 画像)
十七が坂下・カメラ北北西方向が十七が坂です。