安中藩板倉家抱屋敷跡

マーカーは安中藩板倉家抱屋敷跡です。

関連リンク – 安中藩板倉家上屋敷跡(開成所跡・学士会館)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP785・コマ番号436/553から安中藩屋敷の変遷について記載されています。P789・コマ番号438/553「抱屋敷 芝白金」がこの地になります。

安中藩
[安中藩(あんなかはん)は、上野に存在した藩。藩庁は安中城(現在の群馬県安中市安中3丁目)。
寛延2年(1749年)2月、内藤政苗三河挙母藩に移され、代わって遠江相良藩から板倉重同の子の板倉勝清が2万石で入った。
勝清は明和4年(1767年)7月、西の丸老中となったため、1万石を加増された(明和6年(1769年)には老中)。板倉家の歴代藩主には学問に秀でた人物が多く、第4代藩主・勝尚の代である文化5年(1808年)3月、藩校・造士館が創設された。第5代藩主・勝明は学者藩主と称され、「西征起行」や「東還紀行」など多くの著作を残し、藩内の学問奨励にも尽力した。しかし安中藩では天明の大飢饉などから次第に財政難と領内荒廃が深刻化した。幕末期には和宮降嫁のために中山道の守備を務めた。「偽官軍事件」として有名な赤報隊事件はこの安中で起こっている。
明治4年(1871年)の廃藩置県で、安中藩は廃藩となった。  (wikipedia・安中藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [4]拾六中(弘化三年・1846年)」(コマ番号2/5・絵図四つ切右上に板倉伊予守(板倉勝明)抱屋敷が描かれています。)

カメラ位置は港区白金3丁目14-1地先交差点で、カメラ東方向道路を含む両サイドが安中藩板倉家抱屋敷跡と思われます。