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「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図右方向・「中目黒」上に正覚寺が描かれています。]
正覚寺
[この寺は、日蓮宗で、元和5年(1619)に、日栄上人によって開かれました。はじめ碑文谷法華寺末でしたが元禄の頃、不受不施問題の影響を受けて身延山久遠寺末になりました。
仙台の伊達家との関係が深く、四代藩主綱村の生母浄眼院(浅岡局、三沢初子)が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依し本堂や庫裡は自分の邸宅を寄進して建てたものといわれています。今も伊達家の紋の入った建具などが残っています。また綱村は、生母の菩提を弔うため当寺にたいして特別の保護を加えていたといいます。なお、鬼子母神堂には伝教大師作と伝えられる鬼子母子像、祖師堂には十一代将軍家斉が江戸城中で深く帰依していたという日蓮上人木像が安置されています。
墓地には、三沢初子の墓があり、境内には初子が歌舞伎で有名な「仙台萩」の正岡であるということから銅像が建てられています。 (「三沢初子」より)]
[三沢初子像(東京都目黒区・正覚寺) – 六代目尾上梅幸の政岡をモデルにしたといわれている。wikipedia-photo (wikipedia・伽羅先代萩より)]
「目黒を歩く~その十一:正覚寺(一) – 東京 DOWNTOWN …」、「第二〇五回 正覚寺内瘡守稲荷大明神(中目黒)|江戸御府内千 … 」
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号6/7・絵図左端中央下に「正覚寺 鬼子母神」と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [4]拾六中」(コマ番号4・地図中央左方向に鬼子母神正覚寺が描かれています。)
カメラ南西方向が正覚寺山門です。
カメラ南東方向が鬼子母神堂です。
カメラ南西方向が本堂です。