マーカーは済松寺です。
済松寺
[当寺院は、徳川家光に仕えていた祖心尼のために、家光自らが牛込の大橋龍慶屋敷跡に土地を与え寺を築いたのが始まりである。創建は1646年であった。家光はこの寺を臨済宗の宗祖である臨済禅師の済と松平家の松の字をとって済松寺と名づけた。家光も自身が死んでも心は済松寺にあると言ったほど、厚く信仰した。当寺院は七堂伽藍を備えた牛込でも大寺院であったという。その後、宝暦年間の火災や明治維新の廃仏毀釈運動、第二次世界大戦による空襲なとで幾度となく焼失したが、その都度復興され、現在に至っている。
山門・wikipedia-photo
(wikipedia・済松寺より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 市ヶ谷牛込絵図」(絵図右下に済松寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [18]拾九利」(コマ番号3/7・地図左下に済松寺が描かれています。コマ番号7/7・地図右上に済松寺が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「」(11-46)
済松寺(拡大図)
カメラ北方向が済松寺山門です。