マーカーは赤城明神です。
赤城明神
[赤城神社(あかぎじんじゃ)は、東京都新宿区赤城元町にある神社。明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた。鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる。寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。『江戸名所図会』では「赤城明神社」として紹介され、大胡重泰(おおごしげやす)により創建されたこと、牛込の鎮守であり別当寺は東覚寺(天台宗)であることなどが記されている。
境内鳥居・wikipedia-photo
拝殿・wikipedia-photo
(wikipedia・赤城神社_(新宿区)より)]
[伝承によれば、正安2年(1300年)、赤城神社は上野国(群馬県)勢多郡宮城村三夜沢の赤城神社の分霊を勧請しました。はじめは、牛込早稲田村田島(現在の早稲田鶴巻町)に、次に寛正元年(1460年)に、さらに大田道灌がこれを牛込に移し、弘治元年(1555年)には牛込氏がこれを現在地に移したといいます。牛込氏は大胡氏の後裔にあたります。天和3年(1683年)、江戸幕府は江戸大社に列してこれを牛込の総鎮守とし、明治6年郷社に列しました。祭神は磐筒之男神、赤城姫命です。かつてこの境内の奥に「清風亭」という貸席がありました。かつて、文学者・坪内逍遥が文芸協会の前身である「易風会」の会合を開いた場所です。 (新宿区観光協会ホームページ – 神楽坂あたり – 赤城神社より)]
「赤城神社ホームページ」 – 「神事・祭典のお知らせ」
赤城明神資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図」(絵図中心の右上に赤城明神が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 十一之二」(コマ番号2/3・地図中央左方向に赤城明神が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「赤城明神社」(11-44)、「赤城明神社解説・左ページ中程」(11-43)
赤城明神社(拡大図)
カメラ北北東方向が赤城明神参道です。
カメラ北方向が赤城明神拝殿です。