マーカーは鹿奴藩池田家上屋敷跡です。
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP901・コマ番号494/553から鹿奴藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 本芝三田 芝区三田四国町」がこの地になります。
鹿奴藩池田家
[鹿奴藩(しかのはん)は、鳥取藩の支藩。鹿野藩、鳥取東館新田藩ともいう。
貞享2年(1685年)に鳥取藩主池田光仲が新田2万5000石を次男の池田仲澄に与えて新田分知による分家としたのが始まりである。藩庁は江戸時代を通して鳥取に置かれたが、明治元年(1868年)12月10日になってから鹿奴陣屋(鹿野とも表記する。現・鳥取市鹿野)を藩庁としたため、鹿奴藩と呼ばれるようになった。
仲澄時代の晩年である元禄15年(1702年)閏8月7日に5000石を加増されて3万石となるが、これは本藩から蔵米を支給される形であった。藩政の機構は無きに等しく、本藩から派遣された役人が実際の藩行政を行なっていた。鹿奴藩は鳥取池田本家が断絶した際に備えるために設置された形式上の藩であったといってよい。実際、鳥取藩3代藩主池田吉泰と10代藩主池田慶行は鹿奴藩主家(東分知家)からの養子藩主である。
藩政で見るべきところはほとんどない。特記事項としては9代藩主仲建が元治元年(1864年)6月27日、鳥取藩主慶徳と京都出兵をめぐって対立し、諫死していることが挙げられる。
明治2年(1869年)にみずから廃藩し、鳥取藩に吸収された。 (wikipedia・鹿奴藩より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [1]拾六上」[コマ番号40/204・文政十二年(1829年)之形、当時(弘化三年・1846年)之形の中央下に松平壱岐守(池田仲律)と描かれています。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [2]拾六上(弘化三年・1846年)」[絵図四つ切右下・松平壱岐守(池田仲律)と描かれています。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図四つ切右下・薩摩宰相殿上屋敷左上方向に松平壱岐守(池田仲律)上屋敷が描かれています。]
「東京都立図書館アーカイブ – 芝三田二本榎高輪辺絵図(安政4[1857]改正/文久元[1861]改正)」[絵図四つ切右下・松平修理大夫上屋敷左に松平伊勢守(池田仲建)上屋敷が描かれています。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 萬世御江戸繪圖(文久2 [1862])」(絵図四つ切左下・増上寺左、松平さつまの左に松平裕之進(池田仲建)上屋敷が描かれています。]
カメラ位置は地下鉄三田駅A8口前で、カメラ西方向道路両サイドが鹿奴藩池田家上屋敷跡になります。