天王洲

マーカーは天王洲アイルです。

天王洲アイル
[天王洲は海中の土砂が堆積してできた州である。1751年(宝暦元年)江戸前の海であった頃に、船人が牛頭天王の面をこの海域から引き上げたという。この面は南品川の天王祭において神輿の屋根につける「神面」となっているが、この謂れが「天王洲」の地名の由来となっている。また、アイルとは英語で「島」を意味する言葉で、この地が東京湾のウォーターフロントの良き景観に恵まれたロケーションであるため、この名前がつけられた。
シーフォートスクエアの北半分にあたるシーフォートタワー付近は、江戸時代末期に江戸防衛のため築造された第四台場の跡である。また、ボードウォークの護岸は、旧第四台場の石垣を再利用したものである。
歴史
●1751年(宝暦元年)海中から牛頭天王の面が引き上げられる。これを由来に「天王洲」と呼ばれるようになる。
●1853年(嘉永6年)黒船来航に脅威を感じた江戸幕府が急遽品川沖に台場の築造を決定する。天王洲は第四台場を築造する予定地であったが、資金不足のため未完成に終わる。この未完成の第四台場を「崩れ台場」とも呼ぶ。
●1873年(大正元年)第四台場は緒明(おあき)菊次郎に払い下げられ造船所となる。この頃の台場を「緒明台場」とも呼ぶ[7]。
●1925年(大正14年)から埋立が始まり、1939年(昭和14年)に完成。第四台場は埋もれ品川と陸続きとなり、埋立地は工場や倉庫の用地として利用が始まる。
●1986年10月:東品川二丁目(天王洲アイル)の開発計画を策定する。このころはまだ雑多な倉庫街であった。
●1992年6月:三菱商事、第一ホテル(現・阪急阪神ホテルズ)、宇部興産による再開発事業、“シーフォート・スクウェア”のオープンに伴い東京モノレール天王洲アイル駅が営業開始。1990年代には高層オフィスビルが次々と建った。
●2001年3月:東京臨海高速鉄道りんかい線の天王洲アイル駅が営業開始。2002年12月より、りんかい線は埼京線との直通運転を開始し、渋谷・新宿・池袋に直通し、交通利便性・知名度が一段と高まった。
●2006年2月:東京都の「運河ルネサンス構想」第1号店として寺田倉庫が水上ラウンジwaterline(ウォーターライン)をオープン。
●2012年3月:東横INN品川駅港南口天王洲オープン。
品川埠頭から望む天王洲アイル・wikipedia-photo、天王洲ふれあい橋・wikipedia-photo、天王洲アイルのボードウォーク・wikipedia-photo  (wikipedia・天王洲アイルより)]

カメラ位置は天王洲ふれあい橋で、カメラ初期設定方向が天王洲アイルです。

天王洲アイルのボードウォーク上の360citiesです。

シーフォート・スクウェアの360citiesです。

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