水口藩加藤家下屋敷跡

マーカーは高輪南町 児童遊園です。

関連リンク – 水口藩加藤家上屋敷跡(虎ノ門ヒルズビジネスタワー)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP867・コマ番号477/553から水口藩屋敷の変遷について記載されています。P870・コマ番号479/553「下屋敷 高輪」がこの地になります。

加藤明軌
[加藤 明軌(かとう あきのり)は、文政11年(1828年)1月23日、近江国水口藩第9代藩主・加藤明邦の次男として江戸で生まれる。弘化元年(1844年)10月1日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従五位下・和泉守に叙位・任官する。弘化2年(1845年)2月5日の父の隠居により家督を継いで第10代藩主となり、3月20日に越中守に遷任する。 弘化4年4月2日、日光祭礼奉行を命じられる。嘉永2年(1849年)2月3日、大坂加番を命じられる。
藩政では歴代藩主時代の財政難に加え、嘉永6年(1853年)5月には旱魃が起こるなどしたため、櫨の植樹政策などを行なっている。幕末期においては文久元年(1861年)の和宮警護、文久3年(1863年)の伏見警備、元治元年(1864年)の禁門の変における京都警護などに務めている。慶応2年(1866年)2月29日、家督を弟で養子の加藤明実に譲って隠居する。  (wikipedia・加藤明軌より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図中央左方向に加藤越中守(加藤明軌)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [6]拾六下(弘化三年・1846年)」(コマ番号4/5・絵図中央左に加藤越中守(加藤明軌)下屋敷が描かれています。)

東京市拾五区区分全図 第十弐 芝区全図 – 特別区協議会」(地図四つ切左下・高輪南町の35.36番が水口藩加藤家下屋敷跡とおもわれます。)

カメラ位置は高輪南町 児童遊園前でこの付近が水口藩加藤家下屋敷跡になると思います。