マーカーは海蔵寺です。
海蔵寺
[時宗の海蔵寺は、深広山無涯院と号し、海蔵寺は、永仁6年(1298)藤沢遊行寺二祖他阿真教上人が当地に創建しました。江戸時代には数多くの無縁仏を供養しており投込寺とも呼ばれました。 (「猫のあしあと-海蔵寺」より)]
[南品川宿の寺院
次に大きく描かれているのが東海道の西にあたる「本光寺(ほんこうじ)・大竜寺(だいりゅうじ)・天竜寺(てんりゅうじ)・海竜寺(かいりゅうじ)」で、海竜寺は海蔵寺(かいぞうじ)のことです。海蔵寺は品川宿の投げ込み寺といわれ、鈴ヶ森で処刑された罪人や、引き取り手のない死者を葬ったためです。この挿絵の位置は、現在の南品川四丁目付近にあたり、かつて、このあたりは明治後期には字馬場町(あざばんばまち)と字東広町(ひがしひろまち)の一部で、俗に南馬場と呼ばれていたところで、寺院が集中しています。この絵の手前(東海道寄り)には、妙蓮寺(みょうれんじ)・願行寺(がんぎょうじ)・本栄寺(ほんえいじ)・心海寺(しんかいじ)・本覚寺(ほんがくじ)があります。川宿の寺院は、東海寺など数ヵ寺をのぞいて江戸時代以前に建立されています。その理由の一つに中世の品川湊の繁栄が関係していると考えられています。 (「江戸から明治の品川名所 第5回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図左下隅に「海蔵寺」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号4/8・絵図右下「天竜寺」「大竜寺」「本光寺」「海蔵寺」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図中央左上方向「東海寺」上に「天竜寺」「大竜寺」「本光寺」「海蔵寺」が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「本光寺大竜寺天竜寺海竜寺」(4-23)
本光寺大竜寺天竜寺海竜寺(拡大図)
[図会右ページ下に本光寺、中右に大竜寺、上に天竜寺、左ページに海竜寺が描かれています。]
カメラ南方向が海蔵寺参道です。
カメラ初期設定方向が海蔵寺本堂です。