秋月藩黒田家上屋敷跡

マーカーは秋月藩黒田家上屋敷跡です。

関連リンク – 秋月藩黒田家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP789・コマ番号438/553から秋月藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 芝新堀端」がこの地になります。

秋月藩黒田家
[秋月藩(あきづきはん)は、福岡藩の支藩。元和9年(1623年)黒田長政の三男・長興が福岡藩より5万石を分知されて立藩した。藩庁は秋月陣屋(福岡県朝倉市)。無城大名ではあるが城主格が与えられていた。4代藩主長貞の息女、春姫は高鍋藩秋月氏に嫁ぎ、次男は米沢藩で財政再建に取り組んだ名君として名高い上杉鷹山である。
寛永年間に福岡藩の間で下座郡の一部と穂波郡夜須郡の一部の所領交換が実施されたが、幕府の承認を得られなかったため、「御内證替」とも呼ばれた(一説には福岡藩から秋月藩につけられた重臣の所領をそのまま安堵されたからとも言う)。また、秋月陣屋の目と鼻の先にあった交通の要所である甘木宿を手放すことを福岡藩が拒否したため、秋月・福岡両藩の境界線は甘木宿が福岡藩領に含まれる形での複雑な線となった。
明治4年(1871年)の廃藩置県により秋月県となり、その後、福岡県に編入された。  (wikipedia・秋月藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図四つ切右上・有馬中務大輔上屋敷右上に黒田甲斐守(黒田長元)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [2]拾六上(弘化三年・1846年)」[コマ番号2/2・絵図四つ切右上に黒田甲斐守(黒田長元)と描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉より麻布白金御殿跡辺絵図 : 寛保延享(1741年-1748年)之頃」[コマ番号3/7・絵図四つ切右下に黒田甲斐守(黒田長邦)と描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉ヨリ麻布白金御殿跡辺絵図(天保十三年・1842年)」[コマ番号2/5・絵図四つ切左下に黒田甲斐守(黒田長元)と描かれています。]

カメラ位置は中之橋交差点で、カメラ西南西方向一画が秋月藩黒田家上屋敷跡になります。