飯山藩本多家下屋敷跡

マーカーは飯山藩本多家下屋敷跡です。

関連リンク – 飯山藩本多家上屋敷跡飯山藩本多家中屋敷跡(衆議院第一別館)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP358・コマ番号223/553から飯山藩屋敷の変遷について記載されています。P362・コマ番号225/553「下屋敷 品川」がこの地になります。

本多助実
[本多 助実(ほんだ すけざね)は、文政2年(1819年)3月29日、信濃飯山藩第5代藩主・本多助受の3男として江戸で生まれる。誕生当時、父・助受は既に家督を養子の助賢に譲って隠居の身だった。文政13年8月13日、助賢の養子となる。天保7年(1836年)12月1日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下伊勢守に叙任する。安政5年(1858年)4月22日、養父・助賢の隠居により、家督を相続した。元治元年(1864年)9月、奏者番に就任した。慶応2年(1866年)11月、奏者番を辞任した。慶応3年(1867年)4月4日、隠居し、長男の助成に家督を譲った。
しかし、助成が慶応4年(1868年)に早世したため、8男の助寵に跡を継がせ、自らはその後見人となった。版籍奉還後の明治2年(1869年)9月2日、助寵は病気のために隠居し、助実が第10代藩主として再任し、飯山知藩事となった。その後は藩政改革に努めたが、明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県のため知藩事を免職された。  (wikipedia・本多助実より)]

信濃飯山藩本多家屋敷跡遺跡. 現地見学会. 日 時 令和元年11月2日(土) – パンフレット

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図四つ切左上・薩州殿下屋敷上右に本多豊後守(本多助実)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [6]拾六下(弘化三年・1846年)」(コマ番号4/5・絵図四つ切右下、松平大隅守下屋敷の上側右に本多豊後守(本多助実)下屋敷が描かれています。)

東京市拾五区区分全図 第十弐 芝区全図 – 特別区協議会」(地図四つ切左下・高輪南町57,58,59番が飯山藩本多家下屋敷跡とおもわれます。)

カメラ東方向が信濃飯山藩本多家屋敷跡遺跡. 現地見学会が行われた、飯山藩本多家下屋敷跡になります。