マーカーは養願寺です。
五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
品川宿図(拡大元画像・絵図中央右方向、北品川宿三丁目上に養願寺と記述されています。絵図は寛政12年(1800)に着手し、文化3年(1806)に完成していますので、一心寺は描かれていません。)
養願寺
[当寺のある「品川」 その地名は平安朝の時代から有り、 古来より幾多の由緒に彩られた町です。 鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代に渡り栄え、江戸と上方を結ぶ重要な交通路でありました。 徳川時代に東海道に宿場が始めて設置されたのは慶長6年 (1601) の頃になります。当山養願寺御本尊虚空藏菩薩は木像で空海作と傅えられます。 十三詣りでも知られ、福徳智恵を授かるといわれております。また丑年寅年生れの一代守本尊でも有ります。他に阿弥陀三尊が安置されていますが、鎌倉時代制作と云われる善光寺式阿弥陀三尊で 区文化財指定を受けています。また木造不動三尊像三躯が安置され制叱迦童子立像(せいたかどうじりゅうぞう)の面部のはぎめの墨書の名及び玉眼のあて木にはさまれていた文書から此の三尊の由緒が知られました。仏師春達により万治元年 (1685) に制作されたと記され区文化財指定を受けています。 江戸時代に宿場が設置され第一の宿場と成り古くから東海七福神が祀られ、今日は元旦より多勢の参拝者が有ります。当寺には布袋尊が安置されて居ります。 (「 天台宗 東京教区」より)]
養願寺資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図左下・御殿山の下方向に養願寺コクウゾウが描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号3/8・絵図左下「御殿山」の下「法禅寺」左に「養願寺」が描かれています。)
カメラ西南西方向が養願寺山門です。
養願寺本堂前のカメラです。