三春藩秋田家上屋敷跡

マーカーは三春藩秋田家上屋敷跡です。

関連リンク – 三春藩秋田家中屋敷跡(現ロシア大使館)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP864・コマ番号476/553から三春藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 愛宕下」がこの地になります。

三春藩秋田家
[三春藩秋田家上屋敷は愛宕下大名小路にあり、北側は、松の廊下で刃傷事件を起こした赤穂藩主浅野長矩を預かり、江戸上屋敷(藩邸)内で切腹させたことでも知られる、一関藩田村家上屋敷、西側は跡地に東京慈恵会医科大学が建つ、伊予松山藩松平[久松]家上屋敷で、松山藩中屋敷での預かりを命じられていた赤穂浪士10名が切腹しています。愛宕下大名小路を挟んで東側は一関藩田村家の本藩に当たり、鹽竈神社を邸内社としていた仙台藩伊達家中屋敷になります。三春藩秋田家にも邸内社があったということで、手水鉢が三春町歴史民俗資料館の保存されているとのことです。また、現在の東京都港区麻布台2丁目1にあった三春藩秋田家中屋敷は現在ロシア大使館となっています。]

[写真は、東京都港区新橋五丁目にあった、三剣稲荷境内の手水鉢です。この一帯は、江戸時代、三春藩の上屋敷があった場所です。現在はビルの谷間にうもれ、往時をしのばせるものは何もありませんが、江戸時代の三春藩上屋敷の絵図(東北大学附属図書館蔵)のほぼ同じ位置に神社の絵が書かれていること、奉納されたのが安政2(1855)年であること、手水鉢の裏に「惣御家中」(全部の家臣のこと)「奥惣女中」と彫られていることから、この稲荷が江戸時代から同地にあるもので、手水鉢も三春藩士が屋敷内の稲荷に奉納した可能性が高いと判断したのです。
 ところで、この稲荷は平成14年7月に神様を返納し、境内地を売却するということで、町内会では、境内に残る品の引き取り手をさがされていました。そこで、三春藩士が奉納した可能性のあるこの手水鉢を、当館にご寄贈いただけないかお願いしたところ、こころよくご了承いただき、受領しました。
 旧三春藩江戸上屋敷にあった可能性のある手水鉢がひょうんなことから三春の地に移ったのも、何らかの縁かもしれません。この手水鉢は、歴史民俗資料館敷地内「歴民への近道」にありますので、資料館にお寄りの際にはぜひご覧ください。  (「旧三春藩江戸藩邸の手水鉢?|Web資料館|三春町歴史民俗 …」

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図中央上に秋田安房守(秋田肥季)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 八之二(天保九年・1838年)」[コマ番号2/2・絵図中央左上に秋田信濃守(秋田肥季)と描かれています。]

カメラ位置は新橋五丁目西交差点で、カメラ西北西方向両サイド一画が三春藩秋田家上屋敷跡になります。