仙台藩伊達家上屋敷跡(日本テレビ)

マーカーはゼロスタ広場です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP944・コマ番号516/553から仙台藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 芝口海手」がこの地になります。

仙台藩伊達家上屋敷跡(日本テレビ)
[江戸時代、全国の諸大名は江戸に藩邸を設けており、伊達政宗江戸城に近い外桜田(千代田区日比谷公園)や愛宕下(港区新橋5・6丁目)などに仙台藩江戸屋敷を構えていたことが、文献や絵図で知られています。その後、寛永18(1641)年には、浜(芝口)屋敷(港区東新橋)に屋敷替えが行われ、延宝4(1676)年以降は幕末まで上屋敷(大名が江戸で通常の住居とした屋敷)として機能していました。ここは東京都による7年に及ぶ調査により、伊達家屋敷跡の遺構群が御殿や庭園、舟入堀などとともに発見されました。
発見された庭園は、仙台藩の御用絵師菊田伊洲による絵図「江戸藩邸芝口上屋敷庭園図」にあるように、複数の池や遣り水、橋脚、石積みなどからなっていました。
※ 日本テレビの協力により説明サインを次の2ヶ所に設置しています。
1. 上屋敷跡(日本テレビ本社敷地内「ゼロスタ広場」)
屋敷の利用された時期や役割、屋敷を舞台とした歴史的エピソードなどが書かれています。
2. 表門跡
浜屋敷の表門では、元禄15(1702)年12月15日、本所吉良邸への討ち入りから主君浅野匠頭長矩の墓所高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士たちを仙台藩士が呼び止め、粥を振舞ったといわれています。このときの米は糒(ほしいい、粳米を蒸して乾燥させたもの)で、軍糧として作られていたもので、仙台糒として特に製造所を定めていた藩の特産品であったようです。  (「仙台藩芝口上屋敷(浜屋敷)跡(港区東新橋) – 仙台市」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸大絵図(出版年月日・寛文10(1670)刊」(絵図四つ切左下・新橋左方向に「松平ムツノカミ」(伊達綱村)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 八」[コマ番号98/144「延宝(1673-1681)年中之形」(伊達綱村)、99/144「元禄十三(1700)年之形」(伊達綱村)、100/144「宝永(1704-1711)年中之形」(伊達吉村)の絵図中程に松平陸奥守と描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図右上・濱御殿左上「松平陸奥守」(伊達慶邦)が仙台藩伊達家上屋敷です。]

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国京橋区木挽町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)」(地図下中央左・汐留一丁目下の水路から上方向、汐留一丁目の「汐」の字の上あたりまでが仙台藩伊達家上屋敷跡になります。)

宮崎駿の日テレ大時計 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向に「江戸時代の仙台藩伊達家上屋敷表門跡」の説明サインが設置されています。

カメラ東方向がゼロスタで、その下にゼロスタ広場からのびる大階段が見えます。また、その奥右に宮崎駿監督デザインのからくり時計が見えます。

宮崎駿監督デザインのからくり時計前の360citiesです。作動時刻は月~金は12時、15時、18時、20時。土日は10時、12時、15時、18時、20時。※2分45秒前から作動します。

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