大垣新田藩戸田家中屋敷跡

マーカーは大垣新田藩戸田家中屋敷跡です。

関連リンク- 大垣新田藩戸田家上屋敷跡大垣新田藩戸田家下屋敷跡(拓殖大学)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP695・コマ番号391/553から野村藩(大垣新田藩)屋敷の変遷について記載されています。P697・コマ番号392/553「中屋敷 愛宕下」がこの地になります。

戸田氏綏
[戸田 氏綏(とだ うじやす)は、美濃大垣藩の第7代藩主・戸田氏教の四男として生まれる。文政7年(1824年)11月14日、大垣新田藩の第6代藩主・戸田氏宥の養子となる。同年10月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政9年(1826年)6月21日、養父氏宥の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下、淡路守に叙位・任官される。
天保7年(1836年)11月20日、大番頭に就任する。天保13年7月25日、奏者番に就任する。安政2年(1855年)2月27日、奏者番を辞職する。
安政2年(1855年)3月27日、51歳で死去した。家督は養子の氏良が継いだ。  (wikipedia・戸田氏綏より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図中央・池田中務少輔上屋敷下に戸田淡路守(戸田氏綏)中屋敷が描かれています。)

カメラ位置は東京慈恵会医科大学高木会館入口前になります。高木会館周辺が大垣新田藩戸田家中屋敷跡になるようです。